『ブラックノーズと魔法の歌』1
アンパンマンの映画 『 ブラックノーズと魔法の歌』 、これもまたなかなか考えさせられる作品である(2010年)。 「毒親」という言葉があるが、このお話はまさにその毒親をテーマにしている。 カーナという女の子が主人公。 この子は地底に閉じ込められている魔女に育てられた。 授けた魔法の笛をカーナが充分に吹きこなせるようになると、魔女はカーナを地上に赴かせる。 カーナはジャムおじさんのパン工場に居候しつつ、夜になると空を飛んで笛を吹く。 その笛の音は聴く者 を鬱病にしてしまい、町からは日に日に生気が消えていく。 世界の波動が下がれば、波動の低い自分も自由になれる――これが魔女の狙いだったのである。 劇中で「鬱病」や「波動」という言葉は使っていないが、うまく描いている。 やがて世界の波動が充分に下がると、魔女は目論見通り自由を得る。 子供向けの映画なので、親切設計、自ら種明かしをしてくれる。 おまえは私の子ではない、おまえを利用していただけだ、とカーナに言う。 カーナは勿論ショック。 しかしそれで目が覚めて、魔女によって窮地に追いやられたアンパンマンを歌の力で助ける。 こういう話である。 毒親に育てられた全ての人と同様、カーナもまた、自分が自分自身の考えを持っていないことを知らない。 すべて教えられた通り。 人々を鬱病にする笛を吹くことに、ためらいもない。 悪事に手を染めているつもりは毛頭ない。 ただ母親の喜ぶ顔を見たくて、母親の幸せのために、母親に言われたままに行動しているのだ。 悲しいまでにカーナは母を慕っている。 母はカーナを利用しているだけ。 一方、カーナはアンパンマンの日々の働きも隣で見ている。 いつもアンパンマンは人を助けている。 訳を訊くと、人を助け、人が喜んでくれると自分が幸せになるから、とアンパンマンは答える。 アンパンマンの言う「人のため」。 自分の言う「お母様のため」。 同じ「ため」なのに、 何が違うんだろう、とカーナの中に迷いが初めて生まれる。 我が身に当て嵌めて深く頷く所が多かった。 今抱いている願いは本当に自分の願いなのか? 親を喜ばせるため、満足させるため、または黙らせるために、頑張っているのではないのか? 長くなったのでまた明日に続けます。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 4月9日(火)牡羊座新月ヒーリング 4