38通目の手紙 無色透明になると、色に染まりやすくなる話
自分に足りないもの、自分が気付かずにきたもの。 そういうものに出会い、知るために、痛みというものが必要なのだと思います。 「痛み」と言っても必ずしも劇的なものを意味しているわけではありません。 例えば目下励んでいるチェロ伴奏のお務めのことです。 私はずっと自己流でやってきました。 先生はいません。 基本的にいつも一人で演奏します。 だから誰にも迷惑をかけない。 「それ、違うよ」と指摘されることもない。 そうすると、いつも自分の心の赴くままに弾くことが出来、学ぶも学ばぬも私の自由。 それはそれで居心地の良い世界でしたが、伴奏の役となると責任が生じます。 駄目なものは駄目だし、違うものは違う。 「それじゃ聴こえないですよ。もっと大きく」 と何度言われても、小さな音で奏でることに慣れてきた自分にはそれが限界。 もどかしいです。 「もっと歌ってください」 「そんなに伸ばしちゃいけません」 「そこはもっと鳴らしてくれないと」 矢継ぎ早の指示についていくのがやっと。 面白いのは、趣味でやっているだけのチェロなのに、ちゃんと「プライド」があるんです。 良くない意味の、プライドですよ。 出来ない自分があらわになるたびに、プライドに、ぴし、ぴし…とヒビが入ります。 私はこれを痛くて…そして気持ちいいと思いました。 私がOKと言えばOKの世界の外側に、それじゃ駄目な世界があり、その開かれた場所で、私は知らぬ間に築いていたプライドの城壁を、壊してもらえました。 人格否定や叱責によってではなく、美しい音楽と優しい言葉によって。 城壁が崩れると、そこには気持ちの良い心の世界が広がっていました。 一つ自分のことを褒めておくと、ずっと自己流でやってきたのは事実ですが、自分なりに本質・肉体・根本、ということは突き詰めてきました。 つまり無色透明になることを求めてきました。 無色透明ということは、他の色に染まることが出来る 、ということです。 だから、指示を受けてすぐにその場で反応することも出来たのだと思います。 先生方が、アマチュアとは信じられない即時の対応力だ、と褒めて下さったのはそういうことだったと思います。 脳味噌は沸騰しそうでしたが… 最後に、宣伝めいたことをするのがいまいち苦手なのですが、その「無色透明」こそ、私が「癖直しカウンセリング」で皆様にお伝えし続けていることです。 今日、HPに...