先日、自分でも驚くほど心が不調を来した。 まるで突然身長が半分に縮みでもしたかのように、それまでと同じように世界を見ているつもりなのに、見えているものがまるで違った。 すべてが灰色で、無感動で、挫折感に染まっていた。 これは鬱病に違いないと思い、下手をしたら何年も、もっとひどい場合には一生戻ってこられそうにないなと思った。 本当に、こんなことは初めてだった。 きっかけは取るに足りないことだったけれど、その取るに足りないことによって自分の人生の全てが否定されたような気分だった。 それは心の深い層から来る強制終了と再起動の振動だった。 そんな私を見てまどかは異変を感じ、ぽろぽろと涙を流した。 「おとうちゃんが元気がないから悲しい」と彼は言った。 私は不意を突かれた。 自分では、それでもいつもと同じように丁寧に優しく接しているつもりだった。 でも子供を不安に追いやるくらい、私は暗さとエネルギーの欠乏状態に沈んでいたらしい。 私は、今日は心が風邪を引いているようなもので元気がないんだ、許してほしい、でも明日はこんな思いはさせないよ、と訳を説明した。 彼は分かってくれた。 けれど翌日、今日もやっぱりおとうちゃんは元気がなかった、と言われ、思った以上に心が死にかかっているのを改めて認識した。 それから数日、内面に意識を向け、自分にいかなる修正が求められているのかを感じ取ろうとした。 だんだん分かってきた。 それと共に、鬱は引いていった。 この秋分に向けて、〈本当の自分〉に還れ、と言われている気がした。 と言われても、〈本当の自分〉なんていうものを体験したことがない。 自分で新たに見つけ出さないといけなかった。 もう十何年もずっとそれをしている。 それでもまだ足りなかった。 秋分のコンサートがあり、色々と新しいことを体験した。 それは新しい扉を私に向けて開けてくれた。 そうか、ここに来いと言っていたのか、と分かった。 それは私が生まれてから培った人格の外郭のはるか内面の遠くで私を待ち続けていた呼吸のようなものだった。 いよいよ自分というものが分かってきた気がした。 そのしるしなのか、秋分の日、まどかが初めてLINEのメッセージを(母親のスマホから)送ってくれた。 そこには虹色の文字で「マドカだよ おトウちャ だイすキだよ」と、カタカナとひらがなを乱雑に交えて書かれてあった。 時間...