投稿

30通目の手紙 気付いたらずっと一人で抱え込んでいたことに気付いた話

私は以前、自分の身に起きたことは何でも喋っていました。 境界線がないというか、「分かって、分かって〜」星人だったというか。 これはちょっと問題です。 もちろん、プラスの面もあります。 見栄や面子に固執しないことは、「この人は素直で嘘偽りのない人だ」という印象を与え、それが人を引きつける力にもなります。 さて、それがその人それぞれにとってプラスと出るかマイナスと出るか… これは素敵な服が必ずしも誰にでも似合うとは限らないのと同じように、 「組み合わせの妙」 なのだと思います。 蠍座は、自分のことは黙して語らず、 と言われます。 魚座は、自分のことは何でも喋っちゃう、 と言われます。 私は太陽星座が蠍座で、月星座が魚座。 このジレンマ。 ある頃から、そうする必要を感じ、魚座の性質を自制するようになりました。 例えば離婚した時、半年くらいそのことを伏せていました。 後で事実を知ったYさんに 「微塵もそんな気配がなかった…凄い精神力ですね」 と言われたのを今でも印象的に覚えています。 それまでに比べて人生が難しくなり、また、内面奥深くで経験する神様との関係はとても言葉では分かち合い難い事柄なので、どんどん魚座を奥へ奥へを引っ込ませていくことになりました。 おかげで以前に比べて人間的に大きく成長できたと思うのですが、行き過ぎたのでしょうか、現在、もう半年かそれ以上、誰にも何も相談したり悩みを打ち明けたりしてこなかった事実に昨日気付きました。 人生の一大転機にして難局を相手にしつつ、問題をすべて一人で抱え込んでいました。 昨日、外から助けが入り、気持ちが軽くなりました。 ぐらぐらだった計器がようやく固定し、ヴィジョンが定まってきました。 再び、 「私が弱いときにこそ、私は強い」 コリントへの手紙2 そんな最強の私が最強の力を発揮する蠍座満月です。 本日5月1日は蠍座満月(5月2日)の浄化ヒーリングを、いつも通り前夜よりお送りします。 Yさん(蠍座)より 「今回の蠍座満月は、蠍の私達には特にいつもよりパワーが強い気がしています。 昨晩から始まっている気さえします」 本当にそんな感じがします。 是非、お申し込み下さい。 *料金体系変更について未読の方は、28通目の手紙をご一読下さい。 お読み下さりありがとうございました。 ・・・・・・・・・・ スケジュール 5月2日(土)蠍座満月の...

29通目の手紙  「私が弱いときにこそ、私は強い」

去年まで、毎日ブログを投稿していましたね。 実際には毎日「書いて」いたわけでありません。 一度にまとめて6日分くらいの記事を書いていました。 一つのテーマを、読みやすい分量に小分けにして毎日お出ししていたわけです。 最近、また毎日投稿するようになりましたが、このたびは正真正銘、毎日「書いて」います。 自然と、色々とお伝えしたい気持ちになってきました。 いま身辺変化の最中なので、大丈夫かこの人は、と皆さまを心配させていないだろうかということだけが気掛かりです。 それは、「頼り甲斐のあるヒーラー」像を自ら毀損するような行為かもしれませんね。 馬鹿なことをしているのかもしれません。 しかし改めてこのことを考えてみますと、私は 無理して背伸びした姿を見せるのではなく、自分の見たこと感じたことをそのまま皆様にお伝えしたい と思い、ずっとブログを書いてきました。 そして有難いことに、そういうことを聞きたいと思われる方々に恵まれてきました。 だからこそ、今の自分があります。 皆様のお心の中にあるかもしれない「大丈夫かこの人は…」にお答えしますと、 「大丈夫です」。 なぜなら、 「私が弱いときにこそ、私は強い」 コリントへの手紙2 私が弱い時、それはコップがほとんど空になっている状態。 これを不足や欠乏と私たちは捉えます。 でも、空だからこそ、そこに神が入ってきます。 「自分」で満水のコップに、神は入ることが出来なかったのです。 神は、この時をこそ待っていました。 この言葉を語ったパウロという人は、本当に凄い人だと思います。 さて、そんな最強の私が最強の力を発揮する蠍座満月が来ました。 明日5月1日は蠍座満月(5月2日)の浄化ヒーリングを、いつも通り前夜よりお送りします。 是非、お申し込み下さい。 *料金体系変更について未読の方は、28通目のの手紙をご一読下さい。 お読み下さりありがとうございました。 ・・・・・・・・・・ スケジュール 5月2日(土)蠍座満月の浄化ヒーリング 5月17日(日)牡牛座新月の浄化ヒーリング 5月31日(日)射手座満月の浄化ヒーリング *上記以外の日程でも個別セッションも随時受け付けています。 ・・・・・・・・・・ お仕事ご用命について ◯満月新月の浄化ヒーリング 5000円(オススメ) ◯上以外の日程の遠隔ヒーリング 7000円 ◯対面ヒーリング、ライ...

【価格変更のお知らせ】28通目の手紙

遠隔ヒーリングをお布施制にしてから2年経ちました。 そして対面ヒーリングとカウンセリングもお布施制にして、1年余りが経ちました。 あの時、お金に関して、本当に勇気のある決断をしたと思います。 私は 「お金<真心」 の考えで、お布施にしたのでした。 それは決して投げ銭ではなく、誠意に基づく交換であるという私の考えに賛同して下さる皆様に、支えてきて頂きました。 この世界の中で、このような方法によって生活が続いてきたのは本当に凄いことだったと思いますし、それを可能にしてくださった皆様に心から御礼を申し上げます。 いま引っ越しの中で色々なことを考え直しています。 家の中だけでなく、頭の中も整理しています。 正直に言いますと、引っ越しを控え今の私は難しい状況にあります。 人生の新しいステージが始まろうとする時の、陣痛の傷みのようなものかもしれません。 過去を参照し、どうしてこうなったのだろうと考えると、自分は自分の能力と仕事を十分に大事にしてこなかったのではないか、という事実に気が付きました。 もちろん私はずっと自分の能力にプライドを持ってきましたし、この仕事が好きです。 しかしその 仕事の喜びという「灯火」が消えないように守る努力 をしてこなかったと思うのです。 お金に関しては、「お金<真心」の考えが変わることはありませんが、完全お布施制という選択によって、浮世離れしすぎてしまったのだと思います。 皆様には私のこの哲学が歓迎されましたが、その外側にいる人たち、つまり世の中一般との距離を開けすぎてしまいました。 「あまり神々しくなりすぎないように。でないと、この世で使い物にならなくなる」 (オーラソーマ創始者ヴィッキー・ウォール) という一節を思い出しました。 まさに私のことです。 自分の信じる美学に従って生きることは素晴らしいことですが、いつも必ずそれが通用するとは限らないし、そうである以上は柔軟に適応することが必要だと思える年齢にやっとなったということだと思います。 自らの理想を高めすぎたあまりに生活ができなくなり、その理想からかけ離れた仕事に活路を見出さざるを得なくなるというのは、実に本末転倒な話です。 先日、私が大好きだったレストランが閉店しました。 とても魅力的な、店主の精神性が色濃く投影されたお店で、息子を彼の家まで送り返した帰り道、一人でよく食事したものです。 ...

27通目の手紙 引っ越しに際して学んだこと二つ

生活状況が大きく変わろうとする中で沢山のことを学んでいます。 この家は、大きすぎました。 使わない部屋、有り余る収納… 「自然は真空を嫌う」と言いますが、本当にそのとおりです。 一人で暮らしているというのにどこに部屋にも収納にも何かしらあり、それらはすべて「とりあえずここに入れておくか」という考えによってずるずると増加を続けたのでした。 今この時に及んで腕まくりして片付けを始めると、「どうしてこんなものを取っておいた?」というものの多いことに驚かされます。 身軽になるためには、「まあいいか」の惰性を克服することが必須だったのだということが分かりました。 もう一つの学びは、 形あるものの本質は体験である 、ということです。 すべての絵を次の生活に持っていくことは出来ません。 紙に書いたペン画はいいのですが、キャンパスに描いたものはかさばります。 特に額入りの絵。 これは捨てて良かろう、と思うものは去年末から少しずつ捨ててきました。 だんだん水かさが増していくように… 「これも要らん」と。 ずっと同じ場所に住んでいられるなら、どの絵も捨てる必要がありませんでしたが、今はこの問題に直面する必要があります。 どの絵も、描いた時の状況や心境を覚えています。 だから捨てるのは常に惜しいのですが、それは、絵がなまじ形を持っているばかりに抱いてしまう惜しみなのだと思います。 もし仮にそれが音楽だったら? 「あの時は最高に良い気分だった。良い音を出したものだ」 そして、それは記憶の中にしか残っていないのです。 それで良いのです。 だから絵もそれで良いではないか、と思えるようになりました。 形あるものの本質は体験にあるのだから、と。 これもまた、軽くなっていくための心の技術なのでしょう。 さて昨日、以下のようにお伝えしました。 ・観葉植物、家具、生活雑貨の一部、フォトフレーム、(絵の)額をお譲りしたいです。 ・絵を買って頂きたいです。 早速、お問い合わせ頂き嬉しく思っております。 つらつらと今日の記事を書きましたが、それでもなお捨てるに忍びない絵、そして自分が持っていけないかもしれない絵については、人の手に渡れば嬉しいです。 特に、キャンバスに描いた絵や額入りの絵について、「もったいないから私がもらってやろう」と思って下さる奇特な方がいらしたらお声掛け頂きたいです。 これらの絵に関して...

26通目の手紙 ぎりぎりの所まで行かないと開かない扉をそろそろ開ける話

新しい住まいと、新生活を支えるのに足るだけの仕事を探しています。 どちらも初めてのことです。 暗中模索ですが、これまでずっと何とかなってきましたから、これからも何とかなると信じています。 この18年にわたる精神修養の成果を信じて、前に進んでいきたいと思います。 諸々の教えによれば、ここで「助け」が入るはずです。 今まで読んできた沢山の本にそう書いてありました。 ぎりぎりの所まで行くと、扉が開かれるのです。 それはぎりぎりの所まで行かないと開かない扉。 その扉自体はずっと目の前にあって鍵が開いているですが、人間というものは、しなくて良いことはしないで済ませたい生き物です。 ぎりぎりまで行かないと起動しないエネルギーが人生に必要なら、ぎりぎりの所まで連れていくのが運命というものです。 昨日お伝えしたチェロの話もそうですが、いま私は、これまでに自分が纏ってきたプライドや成功体験に基づく惰性の衣を脱ぐ時に当たっているのだと思います。 それはとても居心地の良い衣でした。 これまでを振り返ると、私は自分で物事をはっきりと決めたことがあまりありません。 ヒーリングの力についてもそうです。 確かに、私は、それに先立つ一年くらい前に(26歳の時に)、ヒーリングの仕事を生業にしできたらいいだろうな、というくらいのことは思いましたが、本気で覚悟を決めるというほどのことではありませんでした。 それでもヒーリングの能力は暴力的とも言って良い形で私の中から目覚めました。 それで、大して真面目に望んだわけでもなく、この道に入りました。 だから私は「具体的にビジョンを定めると云々」とか「叶うまで努力し続ける」という説には懐疑的です。 私自身の身に起きたことは、その真逆だったのですからね… そうではなくて、無意識こそが生きている主体であって、自分はその末端の組織に過ぎない気がするのです。 そして無意識が何を望み、どこに向かっているのかは、私には全然分かりません。 この正体不明の無意識に神という名を与えて外なる宇宙に投影し、その力に翻弄されたり、救いを求めたり、あるいは憤ったり、駆け引きしたり… それが、私が内面においてしてきたことだと思います。 「まあ、放っておいても新居は向こうからやってくるし、台所事情もどうにかなるだろう」と思ってこの一年を過ごしてきましたが、いま私に求められている行動はそれでは...

25通目の手紙 出来なすぎてプライドががたがたになった話

5月末に開催されるフルート教室の発表会。 先日、チェロ奏者として初リハーサルに参加しました。 かなり怖い思いをしました。 自分がいかに弾けないかということを痛感させられました。 編成は、フルート奏者の伴奏を、プロのチェンバロ奏者とアマチュアの私が務める、という形になります。 チェンバロの達人のすぐ横で音を出すのは、非常に居心地の悪い体験でした。 最初の音を出した瞬間、「弾けないな、この人」と見抜かれたはずです。 断っておくと、チェンバロ奏者もフルートの講師も優しい方で、私に嫌味や非難の態度を示すことは微塵もなく、優しく指示を出して下さいました。 でも、「これじゃ全然駄目だ」と思わないわけにはいきませんでした。 自分が生徒の立場なら何ともないのですが、出演者を後ろから支えてあげなくてはならない役目を割り振られているにもかかわらず、全く自分にその能力がないことを知るのは辛いことでした。 皆様の発表の機会を残念なものにしたくありません。 でもその役が務まるのだろうか? 帰り道、「降りようかな」と思いました。 翌日は、楽器に触る気になれませんでした。 でも、この機会は与えられたものです。 自分から欲しがったのではなく、思いもかけぬ形で転がり込んできたものです。 リハーサルの帰り道、フルートの先生が「去年演奏を見て、これは弾ける人だ、と思ってお願いしました」と言って下さいました。 宇宙は「出来るでしょう?」と言っているのです。 簡単に出来ることではなく、ヒリヒリしながら頑張れば出来るでしょう、ということを、宇宙はもたらすものです。 それを、受けて立ったわけです。 受けて立った以上はやりきりたいです。 これまでよりももっと真剣に、注意深く練習するようになりました。 そうしたら、具体的な改善方法が見えて来ました。 我流がいけないとは全く思わないのですが、ヒーリング、音楽、絵、小説、料理、私は全てにおいて我流であり、自分の満足と納得感だけを頼りにここまでやってきました。 「そして、その先に行きましょう。今こそ自分を広げる時。そのためにはヒリヒリしなければ」と。 これが宇宙のメッセージなのだと思います。 14組、34曲、ということで量的にも大変ですが、本番当日までに自分自身にも参加者にも満足できる出来に仕上げたいと思っています。 お読み下さりありがとうございました。 ・・・・・・・・...

24通目の手紙 人生に必要な受動性とは

宇宙の導き、というものは常にあります。 そのためには受動的であることが必要なのですが、受動的とはどういうことなのか? 事を起こるに任せ、気に入らないと文句を言う。 これは受動性ではないのです。 単に流されているだけ。責任放棄に過ぎません。 真の受動性とは、事を起こるに任せ、そしてそれを「受けて立つ」ということだと思います。 「来るなら来い、何でも受け止めてやる」という気概とでも言いましょうか。 その時、宇宙が、この人を育てたい、もっと良い所に運んであげたい、という流れを作り出します。 これが宇宙の「導き」であって、それは翻弄されるのとは別のことです。 確かに渦中にあると翻弄されているかのように感じられることがあります。 私自身、過去を振り返ると、翻弄されていると思っている時期が長くありました。 昨日も書きましたが、それもそれで必要な時期です。 学ぶためには無知の段階が必要です。 やがて、これは自分の深い願いが作り出した一連の流れだったのだ、ということが飲み込めるようになってきます。 私は小説を書く人間ですから、小説的に人生を俯瞰する傾向があります。 そうすることで、目の前のことに一喜一憂したり、心を奪われてたりする状態よりも多くのことが見えてくるのです。 小説は「あれがこれに繋がっていたんだ」ということの連続ですし、無駄なエピソードは本来、理想的には、ありません。 「このエピソード、絶対要らないでしょ」という箇所を読んでいる時は、不毛な感じがするものです。 言及されるエピソードはその時点ではどこに繋がるのか分からないのですが、どこかの時点で明確な意味と論理的連続を明らかにします。 それが伏線回収ということです。 そして伏線回収が見事な時、そこにカタルシス(解消による浄化)が生じます。 大掛かりな物語は、伏線を伏線のまま、話を進めます。 人生とはまさに、大掛かりな物語ではないでしょうか。 短編小説ではありません。 だからこそ数多くの伏線が散りばめられており、然るべき着地点に向けて迂回したり時に蛇行したりしながら、そのそれぞれの流れが、同じ方角を指して向かっていきます。 そういうふうに人生を見た時、かつて起きたことは今に繋がっていて、今起きていることは未来に繋がる、ということが得心できます。 この物語を虚心に読むということ。 それが、受動性、という人生の極意なのではない...