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277 祈り4

明日は山羊座の満月です。 ヒーリングを是非お申し込み下さい。 暑さによる疲れを放出しましょう。 ご希望される方には今晩20時よりお送りします。 ・・・・・・・・・・・ 結局、私たちの迷いや苦しみの根本的な原因は 何のために生きているのか、 何のために生まれてきたのか、 が、はっきりしないことだと思うのです。 「いや、はっきりしている。これだ」 と言える人もいます。 でも私は訊き直したいです。 「分かりました。 じゃあ、それがすっかり叶った後はどうですか。 またはそれが絶対に叶わないことが決定された後はどうなりますか」と。 再び、人は迷子になるわけです。 人間は(どんな生物もそうですが)、全体の中で生きています。 個が生きることと全体が生きることは同時に実現しており、 個が生きようとすると、 それが全体を生かすことに 必然的に繋がる、 というのが生命界の真理です。 しかし人間はその真理から離れ、 全体の中で生かされ、 全体の中で生きている、 という実感が希薄です。 それが、 何のために生きているのか、 何のために生まれてきたのか、 にという問いに答えを出すことができないという、 迷子の状態の原因なのだと思います。 祈りは人間の心に存在意義を与えてくれます。 それは、そうあることが自然な状態だからです。 祈ることは、超能力ではなく、普通に毎日しているべきことだったのです。

276 祈り3

明後日は山羊座の満月です。 ヒーリングを是非お申し込み下さい。 体が溜め込んだ暑さによる疲れを放出しましょう。 ・・・・・・・・・・・ 個々の人に対する祈りも大事なのですが、 全体に対する祈りもまた、とても重要です。 いまこの世界はどうなっているでしょう。 とても残念なことになっています。 これに対する表の動きとして、一つには投票行動があります。 (皆様、お願いですから20日の参院選には行って下さい。 あなた一人のためではなく、それによって救われる皆のためにですよ。) そして裏の動きとして、祈りがあります。 戦争や飢餓やメガソーラーに破壊される自然環境や 都会の喧騒や路上に捨てられたゴミなどを見ると、 祈りなんて焼け石に水ではないかと思えます。 しかし実はその事実こそが重要なのです。 「効くから祈る」のではないのです。 それなら簡単なことです。 簡単なことには力は宿りません。 「効かなくたって祈る」という〈心〉が、 実は〈祈り〉という「ワーク」よりも力を持つのです。 音楽だってスポーツだってそうでしょう。 ぎりぎりの所を攻める時、ただならぬ力が生じるものです。 どうです? 祈りたくなってきませんか。 これを仕事の宣伝に使うようなことをしたいのではないです。 ただ、祈りは、難しいです。 私はこれ一筋に考えて、経験して、たくさんの本を読んで、 何回も紆余曲折し試行錯誤し、 17年かかってようやく見えてきました。 祈りについてお教えできることはたくさんありますし、 皆様の後の人生から祈りの心が外れることのないように 指導できると思います。 もし学びたい方がいらっしゃったら、 祈り用のコーチングを設けますので 是非名乗り出て頂きたいと思います。

275 祈り2

祈りの効果が確認されること、しるしを見ること、 それが叶わないことこそ大切ですが(昨日の記事を読み直して下さい)、 もちろん、確認されることもあります。 それもそれで、良いことです。 嬉しく、ありがたいことです。 病気療養中の方に、ふと思い立ってメールを送りました。 その返信、 「私のことを思って祈ってくださっている方がいる、 ということが、どれほどうれしく支えになることか。 私も誰かにとってそんな存在でありたいと思います。 いいなと思ったことは、その人に伝えていきます。 おかげさまでやる気が出ました。 (その前のメール: 私は3月から抗がん剤治療がまた始まり、(…) 体がダルかったり、便秘したりはあり、やる気が起きないと落ち込むこともあります。) ありがとうございました。 河邊さんにおはがきだそうかな、でも特に大したことを書く訳じゃないし、と思っていた矢先にメールいただいて、 驚きました。」 私は毎日、皆様のために祈ることにしています。 助けを必要とされる方のためには特に心を傾けて祈っています。 「回復をお祈りします」は言葉ですが、 それもとても良いものですが、 本当に祈るということは、 しっかりとした現実として、相手の心に届きます。 これは精神論ではなく、 実は理論と法則がしっかり働いているのですが、 話が複雑になるのでこの場では割愛します。 でも、学びたい人は教わりにきて下さい。 私はこのことを、人にお教えしたくなりました。

274 祈り1

先日イノリノエについて触れましたが、 https://atelierkoshiki.blogspot.com/2025/07/blog-post.html 祈りということが、最近、再びの生気を得て私の考えに戻ってきました。 祈りには実践も必要ですが、前提となる理解も必要です。 本質の理解は経験によってしか得られません。 そこで、これまでの歳月も全てはこのことを知るためだったな、 と思えます。 「祈ることしかできない」 のではなく 「祈ることができる」 前者の考えは、祈りには効力がないという前提から来ます。 一方後者は、祈りの効力を認める所から出発します。 では祈りにはどのような効力があるのか? これは私が認識するに至った最高の知恵だと思っているのですが、 「しるしのない所にこそ効力がある」 祈りが届いたかどうか、 それで何が変わったか、 それは重要ではありますが、 あえて確かめられないままにしておくのが、良いのです。 これを私はこう喩えます。 今どき、LINEでメッセージを送れば「既読」がつきます。 届いたかどうかが、見えるのです。 一方、手紙をしたためて送ります。 届いたかどうか、分からないでしょう。 届いたことを、信じるしかないでしょう。 この信じる所に、祈りの心が重なるのです。

273 3つのアドバイス(3) 新たなる中庸

  問題解決のための「認識法キット」の三つ目は 「新たなる中庸を探せ」というものです。 ある行動パターンが上手く行かない時、 多くの人は反転します。 例えば、言い過ぎたので失敗した、 だから一切言わないようにした、 とか、 そういうことです。 でもこれはカードの表を裏に返しただけで、 同じカードを使っていることに違いは起きていないのです。 問題は「そのカード」にあるわけで、 それは一つの固定観念から生じる二つの行動パターンです。 つまりその固定観念を解体しないといけません。 すると全く新たに、別のカードを手に取って使えることようになります。 これがおなじみの極端と極端の間の中庸ではなく、 全く新しい中庸であり、 新しく現実を切り開く力になるのです。 他にも色々とお教えすることはあるのですが、 以上の三点は、コーチングに際して複数回出てきた話ですので、 皆様に共有しようと思いました。 とは言っても、それが各人のケースでは何に当て嵌まるのか、 そこは簡単に分かるものではありませんから、 お手伝いさせて頂けたらと思います。

272 3つのアドバイス(2)自分の非

問題解決のための「認識法キット」の二つ目は 「常に自分の非だけを認める」というものです。 そんな理不尽な、と思われるかもしれませんが、 問題解決したいなら、これは外せません。 だいたい問題が起きる時には 「相手が悪い」 「環境が悪い」 という考えがまず生じます。 次に大幅に譲歩して 「自分にも非がある」 と認めるに至ります。 しかし 「相手にも非がある」 という抗弁が残ります。 たとえ事実がそうだとしても、 その考えでは自分を変える必然性が生じません。 「だって相手も悪いんだもん」 と言える内は。 これは割り切れるかどうかの問題ですが、 道理が理解できなければもちろん不満が残ります。 逆に言うと、道理が分かれば、 「確かに自分に問題の種がある」と飲み込めるものです。 単に、「元は自分」という考えを押し付けるのではなく、 状況を分解整理して道理を解き明かすということを、 コーチングではしています。

271 3つのアドバイス(1)俯瞰

ご好評頂いているコーチングですが、 実はこのたび私は初めて記録を取っています。 というのも、持続的な営みとして捉えていますので、 都度、前回までの話をちゃんと頭に入れておきたいからです。 まあ、逆にそれをやるのが普通だと思うんですが… で、「また同じことを教えているな」と気付くことがあります。 実は解決のためにはいくつかの「認識法キット」みたいなものがあるのです。 それをいくつか共有しましょう。 一つ目は、「俯瞰して見る」ということです。 自分の問題は、自分の視点だけから捉えがちです。 でもそれだと問題が発生している時の事情を把握できないのです。 相手ばっかり悪い、自分は悪くないのに、 と思えてしまいます。 テレビドラマでも見るように、 自分と他者を第三者的な視点で見ることが大切です。 すると、 「いやいや、そこはそうしなさいよ」とか 「そりゃ、相手もそう言うでしょう」など、 ドラマを見ている時になら自然と湧いてくるツッコミを、 自分に入れることが出来ます。 これが、今までと違う発想の余地をもたらしてくれるのです。