59通目の手紙 内なる声と現実は神の声
おはようございます。 二回にわたって、チェロ伴奏の体験から学んだこと、それまでの道中にあったこと、そして闇をくぐり抜けて噛み締めた喜びについて書きました。 いつも以上に非常な長文になりましたが、もし最後までお読み頂けたならとても嬉しく、感謝いたします。 私の感動は伝え終わりましたので、次に皆様の糧となるであろうアドバイスに換えてお伝えしたいと思います。 人生を満たしているのは神の声です。 「神の声なんて聞こえない。私にはオジジみたいな力はない」と思うかもしれませんが、神の声には二つの聞こえ方があるのです。 一つは 「内なる声」 であり、もう一つは 「現実」 です。 「内なる声」を聞くためには平素より、その声が湧いてくる深さにチューニングされている必要があります。 これは確かに経験と訓練と素質が必要なので、難しいことではあります。 しかし一方「現実」はすべての人に等しく、「その人だけのための現実」が用意されています。 その現実の中に、全てに、神の声が響き渡っているのです。 人生に、必要のないエピソードは一つもないのです。 例えば 昨日お話したように 、この3か月ほど、私の現実は「墜落していくかのように見える流れ(=家、仕事、お金がなくなること)」と「光の中に上昇していくかに見える流れ(=プロの音楽家たちの演奏に招かれること)」が、尋常ならざるハードコアなマーブル状で出現したわけです。 別の喩えをするならば、割けるチーズのようなもので、その上に両足を乗せていた私はいわば股裂きの刑でした。 ですからこれは「大変ですね。仕事と家を見つけないと」「素敵ですね。そんな人たち音楽できるなんて」とかそういう単純な話ではないのです。 神はそういうつまらないことを言わせるためにこの現実を起こしているわけではないのです。 「現実を読む」ということ。 「神はこの現実を通して私に何を伝えようとしているのだろう」と問うこと。 私は、神はいま、光と闇の著しいコントラストを見せることで、私に選択を強いているのだ、と理解しました。 「おまえは光を掴みたいのか? それとも闇に掴まれたいのか?」 そしてちゃんと神は、その答えが正しい時には事が滞りなく運ぶよう、準備もしています。 何か別の仕事を見つける、引っ越し先を見つけると言っても、5月末日のコンサートまでは動きようがありませんでした。 これは私を縛り...