27通目の手紙 引っ越しに際して学んだこと二つ
生活状況が大きく変わろうとする中で沢山のことを学んでいます。 この家は、大きすぎました。 使わない部屋、有り余る収納… 「自然は真空を嫌う」と言いますが、本当にそのとおりです。 一人で暮らしているというのにどこに部屋にも収納にも何かしらあり、それらはすべて「とりあえずここに入れておくか」という考えによってずるずると増加を続けたのでした。 今この時に及んで腕まくりして片付けを始めると、「どうしてこんなものを取っておいた?」というものの多いことに驚かされます。 身軽になるためには、「まあいいか」の惰性を克服することが必須だったのだということが分かりました。 もう一つの学びは、 形あるものの本質は体験である 、ということです。 すべての絵を次の生活に持っていくことは出来ません。 紙に書いたペン画はいいのですが、キャンパスに描いたものはかさばります。 特に額入りの絵。 これは捨てて良かろう、と思うものは去年末から少しずつ捨ててきました。 だんだん水かさが増していくように… 「これも要らん」と。 ずっと同じ場所に住んでいられるなら、どの絵も捨てる必要がありませんでしたが、今はこの問題に直面する必要があります。 どの絵も、描いた時の状況や心境を覚えています。 だから捨てるのは常に惜しいのですが、それは、絵がなまじ形を持っているばかりに抱いてしまう惜しみなのだと思います。 もし仮にそれが音楽だったら? 「あの時は最高に良い気分だった。良い音を出したものだ」 そして、それは記憶の中にしか残っていないのです。 それで良いのです。 だから絵もそれで良いではないか、と思えるようになりました。 形あるものの本質は体験にあるのだから、と。 これもまた、軽くなっていくための心の技術なのでしょう。 さて昨日、以下のようにお伝えしました。 ・観葉植物、家具、生活雑貨の一部、フォトフレーム、(絵の)額をお譲りしたいです。 ・絵を買って頂きたいです。 早速、お問い合わせ頂き嬉しく思っております。 つらつらと今日の記事を書きましたが、それでもなお捨てるに忍びない絵、そして自分が持っていけないかもしれない絵については、人の手に渡れば嬉しいです。 特に、キャンバスに描いた絵や額入りの絵について、「もったいないから私がもらってやろう」と思って下さる奇特な方がいらしたらお声掛け頂きたいです。 これらの絵に関して...