61通目の手紙 夢や願いは叶わないことによって良い
おはようございます。 昨日引用したお客様からのメッセージの再掲ですが 「ヒーリング夜話、かわべさんのお声もあってかすごく沁みました。いろいろあったけど、私の中にも驕る気持ちがなかったかな…と反省しました。自分の心に向かって、まるでろうそくの炎を見つめているような不思議な時間が過ごせました」 この「驕る気持ち」についてお話してみたいと思います。 Yさんの苦しい現実を、コーチングの場で何度も伺っていました。 その都度、その状況で最も効用があると思われる考え方や受け止め方をお伝えしてきました。 しかしもどかしいことですが、 今はまだ解けない問題は、今はまだ解けないのです (同語反復)。 もちろん、すぐに解きたいですよね。 でも「今はまだ解けない」というのは、必ずしも絶望的なだけの意味ではないのです。 その状況じゃないと見えないもの、味わえないことがあり、 それを魂が必要としているのです。 もっと光り輝くために、です。 Yさんのコーチングをしている時、私としても、もどかしい気持ちでいました。 すぐに助かる道を教えてあげられるなら教えてあげたい。 でも「助かること」より「学ぶこと」の方が、魂にとっては優先順位が高いのです。 「驕る気持ち」について、私はこう考えます。 朝に夕にお米をいただけることが、本当はとても有難いことなのです。 それは生きるために、なくてはなりません。 ゆえにそれは心によって「必ずあるもの」と認識されます。 すると次に「必ずあるもの」に対する「あって当たり前」という認識が生じます。 そして次に「これじゃ足りない」を欲を引き連れてきます。 「お米だけ?」 「おかずは? お肉は?」 「いつも同じのばっかり」 私は離婚しました。 子供と暮らせなくなりました。 子供の振る舞いに応じかねて苛々したり苦しんだりする時期もありました。 どうしてこうなった、と悔いることもありました。 それはエゴの目から見た、苦しみの風景でした。 そしてそれは幻なのです。 神はエゴを削ろうと、様々な痛みを私に与えてくれました。 (マゾヒスティックに捉えないで下さい。砥石がなければ刃物は研げません) 心の原点まで帰ると、もっと大事なものが見えてくるのです。 「この子が生きてくれていることが何よりありがたく、嬉しく、尊い」 「更にこの子は元気で、健康で、幸福そうだ」 「更にこの子は私を大好きだ...