20通目の手紙 脳の高次機能
昨日の朝、「浄化」ということに理解が及びました。 このような時、理解は次のようなプロセスによってもたらされます。 無数の体験は無意識という格納庫に貯蔵されています。 これらは繋ぎ合わせられることによって知識に昇華される、情報というパズルの欠片です。 そこには、保留になっていること、叶わない願い、成功体験、苦しみ、喜び、手応え、諦め、印象的な記憶、聞いた話、学んだこと…色々な情報が比較的無秩序に放り込まれています。 私たちが人生を対して見解を持つ時、または現実に適応し対処しようとする時、これら乱雑な貯蔵庫の中から瞬間的に、自分自身にとって筋道の通った物語や法則が紡ぎ出されます。 たとえば「あの時ああだった。今回はそれに似ている。だから今回も適切な対処は」というふうに。 しかしこれはあくまでも解釈なのです。 別の角度から見るとまったく別のように見えるのが、現実、そしてこの世界というものです。 時として、私たちは記憶の欠片から全く新しい「物の見方」を形成しなければならないことがあります。 そのプロセスを、人生の試練と言います。 過去の体験の印象や辿ってきた道の重力が強烈だと、その情報を合理化する説明、物語、世界観を放棄することが難しくなります。 例えば「私はいつも粗末にされる。だから今もまた粗末にされるんだ」 過去にこだわってしまうのです。 実際には、毎日私たちは新しい世界に目覚めます。 それを昨日までと同じ世界にするかどうかは私たちの心の在り方にかかっています。 瞑想というのは、私たちが今日という日にチューニングするために必要なのです。 瞑想している時、脳の低次機能が抑制され、代わりに高次機能が動き出します。 低次機能とは、普段のおなじみの思考です。 ここには、生活のために必要なものもあれば、単なる脳のCPU浪費の動作もあります。 今日の昼ご飯について延々と悩んだり、100円程度の価格差の右と左の品物を慎重に吟味するとか、更には後で「あっちを買えば良かったかな」と振り返ったり。 全くの無駄。 一方、高次機能というのは、言ってみれば神の視点であり無我の心であり、現実を創造する力を持っています。 高次機能は、人間ではありません。 お金はあった方がいい、とか、皆と程々に仲良くした方がいい、とか、あんまり我が儘は良くないな、とか、そういう社会的動物としての人間とは全く別の判断基...