58通目の手紙 神が吹かせる暴風に耐えて立つこと
おはようございます。 フルート教室の発表会での話を続けます。 6月末日 に引っ越しが迫っていました(*白紙撤回となりました)。 そして、 5月末日 に発表会が予定されました。 これは偶然でしょうか? いえ、神様が用意したことです。 皆様にあまり暗い話をお聞かせしたくないのですが、今日は許して下さい。 といっても愚痴の話ではありま せん。 見出した光を一緒に見て頂くために、暗がりにお連れする必要があるからです。 深い話をします。 6月末に迫っていた引っ越しに向けて、人生の状況は明らかな下り坂をずるずると下っていました。 生活維持の最低線を遂に超えた収入の低下、仕事の減少、人と会う機会がめっきりなくなったこと、住む家がまだ見つからないこと、見つかったにしても大幅に収入を上げないといけないこと、そして収入増加の見込みがまったくないこと… これは普通の考え方ではないことは承知していますが、「神はどうするつもりなんだろう」と思って私は「見ていました」。 いや、普通そうなる前に動くでしょう、と思われると思うのですが、私はそこで動きません。 怠惰、現実逃避、と見えるかもしれませんが、そうではなく、 人生は、神が自分に向かって吹かせる風(時として防風)に耐えて立つこと だと私は信じているからです。 神が火を吹き消そうとする時、私はそれを見ているしかありません。 諦めでも責任放棄でもなく、忍耐と観察です。 旧約聖書の『ヨブ記』はおそらく人間のこの人生態度の最古の記録でしょう。 しかしそう受け入れつつも、今述べた現実面のことだけを考慮の対象とすると、私はお先真っ暗な状況でした。 私の自尊心は、今だから言っても許されるかと思いますが、時々極端に落ちていました。 「この物件を見てきたんだけど」と、たまたま話す機会があったので元妻に写真を見せたら、「これは相当自己肯定感が落ちてるな…」と感じたそうです。 「この物件に入ったら一生、運気が回復しないと思う。それくらい暗い」と言ってくれて、目が覚めました。 また私は生まれて初めて求人サイトを見て、仕事探しをしました。 配送業か、介護分野とかなら何とか出来るだろうかと思って問い合わせたり… 18年もこの道一筋でやってきたのに、もう私はヒーリングでは暮らしていけないらしい、と現実を認めるのは、とても辛いことでした。 プライドは木っ端微塵でした。 (そ...