感度3
私の感度はどのあたり、ということについてのヒント。
例えば私の菜食趣味について言うと、私の中には殺生に対する憐れみがあります。
だから「肉を食べて元気に」という主張を、私の心は受け入れることが出来ません。
ただし肉を食べなければ殺生に加担しないことになるのかと言うと、世の中がそんなに単純でないことも知っています。
どっちみち無自覚の内に大量の生き物を殺しながら私たちは生きているのです。
そして時々お肉を頂くと美味しいことも知っています。
それで「時々、頂く」という所に落ち着くわけです。
世の中を見ていますと、体のことは体のことだけで語る話法が多いように思われます。
肉を食べると良いか悪いかというのは(小麦粉とかもそうですよ)、個々の人にとって、精神構造と肉体構造の両面から見られるべきもので、そこに自然と答えが見つかるものなのです。
「体に良い/悪い」というだけの切り口は面白くありません。
基本的にあなたの考え/思想が、あなたの生活の「正解」を根底から支持する根拠となります。
「いや、そりゃ何かしら食わないといけないだろう」とあなたがあっけらかんと思えるなら、あなたには肉食を控える必要はないでしょうし、肉食を控えることによって得るものもないと思います。
体と心が別々の方向を向いている時、得るものは少ないのです。
でもあなたが私のように憐れみを持つのであれば、そしてそこには人それぞれの程度が勿論ありますが、その考えを食生活の実行に移し替えることによって得るものがあります。
つまり健康になります。
このように、心/頭と体を、思想と生活を出来るだけ重ね合わせていくことが大切なのです。
諸々の健康法がありますが、それらもまた「私がそれに対してぴたりとくるかどうか」で見てほしいものです。
「この健康法が良いと聞いて試したのですが」という話を時々聞くのですが、喧伝する方は当たり前のことですが、沢山の良い事例を持っています。
外に目を向けるのではなく、その方法や、世界観や美学に自分が内的に共鳴するかどうかが大切で、その感覚を保つ限り、あなたに最適の道を見つけることが出来ます。
今日もお読み下さりありがとうございました。
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