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1月, 2025の投稿を表示しています

100 幼少期の心の傷、親子のこと

蟹座の満月なので蟹座っぽいことを言うとなると、どうしても家族のこととなる。 最近も、家族のことが話題に上がった。 多くの人が、幼少期に心の傷を持っている。 その自覚がないこともあれば、自覚はあるが取り合わないことにしている人もいるし、自覚がありすぎて埋没してしまっている人もいる。 どうするのが正解なのだろう。 私の信じる所では、幼少期の傷は決して癒やされない。 だから癒やされることを求めない方がいい。 それをし出すと終わりがなくなる。 私たちは別に、幼少期の傷を癒やすために生まれてきた訳ではないし、生きている訳でもない。 「癒やされない」という考えに反発を覚える人もいるかもしれないが、それは、癒やされないという事実を否定的に捉えているからだと思う。 そしてそれは実際、固定観念なのだ。 癒やされない傷によって、こういう自分になれた、ということもある。 「こういう自分」はこれまでに沢山のことを学んできたし体験してきた。 この自分を肯定できる時、この自分に至る流れもまた肯定できると私は思う。 親を責める必要もなければ、かばう必要もない。 単に、「自分は充分に愛を体験しなかった。 それによってこういう自分になった。 悪いこともあったかもしれないが良いこともあったし、これからはもっと良くなっていく」 ということが分かれば…、 もういいでしょう、その生命の始まりを示す年輪の芯がどんな形をしているかということは。 立派な木になり、これからはいよいよ豊かに年輪を重ねていけば良いだけなのだから。         *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 今日は蟹座の満月です 。ご用命下さい。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月25日(日)9−10時オンライン瞑想会 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com...

99 不誠実なままでは

最近、チェロの練習を続ける中で分かったことがある。 私は耳を使っていなかった。 じゃあ一体何をしていたんだ、という話なのだが、とにかくそうとしか言いようがない。 簡単に言えば、感覚を研ぎ澄ましていなかった。 漫然としていた。 当てるべき点は小さいのに、大きな面を見ていた。 出しているのは「ラ」ではなく、「ラ」っぽい音だった。 注意を向ける所を間違えれば、得られる結果も全く違ったものになる。 楽譜を読む時は目を使っていて、指や手を動かすので、その運動にも気を取られる。 そして耳がお留守になっていた。 耳をお留守にしても音はもちろん聞こえるのだが「音のまこと」が聞こえない。 (最近やたらと「まこと」と使いたがるがなぜでしょう) その「まこと」とは… 本当に今のこの音で満足ですか、という問いと、それに対する答え。 これに対して「いや、駄目でした。やり直し」というのが、まことの心。 「まあ、こんなもんです。引き続き」というのが不誠実。 しかし不誠実の自覚すらなく、素通りしていることもざらにある。 20歳?の時にチェロを始めたと記憶している。 かなり長い間弾かない時期があったのを差し引いたとしても… 不誠実なままでは何年やろうと境地は得られないというのが、やっと分かった。 それで最近、変わりつつある。 この話はその他諸々のことにもきっと当て嵌まることと思い、書いた。       *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 明日は蟹座の満月です。 ご用命下さい。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

98 真・引き寄せのナントカ

出会う人も起きる事も、自分が決めている。 ただ、それを知らずに決めているのと、そうとは知らずに決めているのと、その二つがあるだけだ。 お布施にしたのは、より柔軟で、心のまことのある人だけ関わっていきたい、という人生に対する期待が、いよいよ定まったからだ。 自分が無防備になればなるほど、その無防備を慮って大切にしてくれる人と出会える。 もちろん、これは諸刃の剣で、その無防備を突いて利用してくる人に会う確率も高まる。 それは承知の上で、どこかで覚悟を決め、前に向かって一歩を踏み出さないといけない時が来る。 自分が充分に心の強さを得ていない時にそのようなことをすれば、大失敗して、お布施なんかやるもんじゃない、という結論に行き着いたかもしれない。 しかし「今はもうそうではない」と思える時―それは直感の声なのだが―自ら、自分を守るための鎧を脱ぐことが望ましいこともある。 すると、相手もまた裸に近い心を見せてくれるようになるのだ。 私は警戒し合って生きるより、信頼し合って生きたい。 こういうのはタイミングの問題で、本当に難しい。 今すぐ皆さんも無防備になるといいですよ、なんてことは口が裂けても言えない。 たまたま私の場合、そういう時が巡ってきただけのこと。 でも似たことは人生のあらゆる面で、頻繁に起きていると思う。 信じてもらうには信じなければいけないし、与えてもらうには与えなければいけないし、頼られるには頼ることをまず覚えなければならない。 大切にされるためには、まず人を大切にすることを学ばなければならない。 結局、自分の現実が好きであろうとなかろうと、こうして自分で選んでいる。 だからその意味においては、人生は変えていくことが出来る。 より良い方に向かって、常に。           *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 明後日は蟹座の満月です。 ご用命下さい。 それと25日(日)9−10時、瞑想会をしますのでご参加下さい。 オンラインで、参加費はこれもまたお布施です。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ...

97 心のまこと

出張で長野市に行ってきた。 暮れにお電話を頂き、是非すぐにも来て頂きたいと言われた。 聞けばとにかく大変な状態らしいのだが、何がどう大変なのだかよく分からない。 しかし直感によって「この人だ!」と思ったそうで、そう白羽の矢が立てば、行かない訳にはいかない。 何をしたらいいのかなと思いつつ伺って、必要なことを全てし終えて帰ってきた。 自分のある決定や選択が、新しい扉を開くということがある。 このような突拍子もないことが起きるのには、いくつかの流れが先にあって合流していたと思うのだが、その一つは、「全部お布施」にしたことだと思う。 今、書いていて気付いたのだが、赴いた土地の名が「小布施」(おぶせ)だったのは、もちろん偶然ではないだろう。 お布施には、自分で考え、自分で決めることが求められる。 「いくらでも」の意味は安売りではなく、誠を尽くすということなのだ。 だいたい、お布施というものは直感によってもたらされるのが望ましい。 「一般的妥当」よりも「主観的まこと」により重きを置くようになった、その示しとしてお布施にしたので、それに符合するように、このようなことが起きたのだと思う。 人づてに話を聞き、私の写真を一目見ただけで「この人なら自分を救える!」という主観的まこと=直感に従って、見も知らぬ人が遠くから私を呼んだというようなことが。 そして私は「その人がそうまで信じ込めるのなら、必ず私が助けることが出来るのだろう」と、こちらもまた信じて、出向いていったのだった。 その結果は、全く想像した通りのものとなった。         *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

96 スプーン曲げ

新春初スプーン曲げをやってみた。 https://www.instagram.com/p/DEg6cXkvcIE/ ここには興味深い知恵の切れ端がある。 「スプーンは曲がるように出来ている」という事実と 「スプーンを曲げられる訳がない」という固定観念。 この二つが、この世界には同時に存在している。 この固定観念を超えた所に意識を移動できた時、スプーンはこの箇所において曲がるのだ。 他の所は曲がらない。 少なくとも私には出来ない。 つまり認識次第で動くものと、認識がどうあろうと動かないものが、この世界にはある。 スプーン曲げをする時には、あらかじめスプーンが曲がる様子が見えている。 それは水をこれ以上注ぐと溢れるだろうな、というのが「あらかじめ見える」のと同じで、超感覚とかではない。 しかし水が溢れるのは誰にでも予見できるが、スプーンが曲がるのは予見しにくい。 こういう所に固定観念が働いている。 固定観念というのは、このように、力の発生を阻害する最大の要因なのだ。 同じように、 「どうせこうなる」 「出来ないに決まっている」 という自己や現実に対する固定観念は、人生における「曲がるスプーン」を、曲がらないものにしてしまう。 一度スプーンを曲げられた人は、何度でも曲げられるようになる。 それは「スプーンは曲がる」ということを知ってしまったからだ。 スプーン曲げ自体は大したことではないが、これが人生に応用されたらどうなるだろう。 まだまだ開拓できる余地はあるはずなのだ。         *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

95 暮らしを豊かに

今年の抱負の第二は、暮らしをもっと豊かにすること。 と言っても今だって充分に恵まれているし、足りないものは一つもない。 物やお金を増やすことで得られる豊かさではなく、豊かさを感じる心をもっと求めたいと思っている。 豊かさを感じる心――これは最も得難いものの一つだと思う。 近年は特に、ずっとそのことに取り組んでいる。 すると次第にこんなふうに思えてくる。 「なんて美しい世界なんだろう。 この鳥の声、あの空の色…!」 ほとんど信じられないような思いに駆られる。 世界の美しさに思いが至る時、心は清い。 余計なことは何も考えていない。 心を清く保とうとすることによって、精神の穢れから離れることが出来る。 自分や他人や世の中が作り出す諸々の禍事罪穢れ(つまり面倒や不足)がなくなったら、心は清くなるのではなく、心が清くなることで、それらの負の力は影響力を失うのだ。 そのために必要なのは、世界が示してくれる美に感銘を受ける心を忘れないことなのだと思う。         *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

94 努力の価値

そろそろ平常復帰ということで… 抱負について書いたけれど、他にもある。 一つはチェロ。 もう一つは暮らし。 今日は一つ目のこと。 チェロは難しい。 こりゃ、本当に難しいわい…と最近、改めて痛感した。 誰だろう、そこそこ弾けるなどと思っていた輩は。 私は生まれてこの方ずっと、難しいとそこで諦める人間だった。 小器用なので、大抵のことは努力しないでも70点まで行ける(と思う)。 でも「ここから先、努力しないと71点以上は行けません」という標識が出現するや否や、「まあ、素人なんでこれくらい出来れば充分です」と行って、先に進まない。 そういう人間だった。 70点も出来ると大抵の人は褒めてくれるので、それで良い気になってしまう。 努力を惜しむという自分の至らぬ点に気付きづらい。 器用貧乏は得しているようで、損しているかもしれない。 努力すると達成できる、ということを経験しないからだ。 努力すると達成できる、と信じられることは何と素晴らしいことだろう、と最近では思うようになった。 それは自分自身に対する信頼だから。 もちろん、私も他の色々な所では努力している。 でも、こういうことに関しては努力不足を認めざるを得ない 。 今年はチェロの上達を通して、精神構造を改めていきたいと思っている。 これが今年の抱負の第二です。         *** 今日もお読み下さいましてありがとうございました。 【スケジュール】 1月14日(火)蟹座満月ヒーリング 1月29日(水)水瓶座 新月ヒーリング 【メニュー】 ①ヒーリング(対面/遠隔)②カウンセリング(対面/リモート) いずれもお布施制です。 ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

93 今年の占い

今年の占いを、お告げしましょう。 今年のテーマは「とらわれない」。 これが、今年の宇宙の風を捉えるのに良い姿勢です。 色々あります。 考えにとらわれないこと。 人間関係にとらわれないこと。 それと、お金にとらわれないこと。 思いつくまま、書いてみます。 ・考えにとらわれないこと 例えば「こうでなくちゃ」「こうあるべき」「今までずっとこうだった」「世の中そうなっている」「普通は」などは、全部、「考え」です。 これらは良い働きをすると信念となりますが、悪い働きをすると手枷足枷になってしまいます。 ある言い方をすれば、今年は宇宙の風が四方八方から出鱈目に吹く感じなので、何が起きても対応できるようにしておくためには、「考え」は手放しておくか、ゆるめておく方が良いです。 と言っても、あらかじめ、うん、この考えが枷だな、なんてことは分からないので、自分が思わず反発したり身構えたりしそうな出来事が起きた都度、「ああ、これが私の枷となっている考えなんだ」と思うのが良いと思います。 折角なので自分の書いたことを参考として引用しますと、例えば元日、息子と過ごすことが出来ました。 これに対して「元日しか会えないんだ」とか「えっ離婚したのにママも来るの」とか、そういう悲嘆や不満も、反応としてはあり得るのです。 実際、以前私はそんなふうに考えました。 しかしそういうことは「普通は」や「こうあるべき」という考えに基づく考えであり、しかし 事実としてはその考えの反対のことが起きている。 ということはその事実を受け入れて、それに反する自分の考えの方を取り下げれば良いのです。 すると、楽しくお正月を過ごせるという訳です。 逆にそうしないと、楽しめるものも楽しめなくなります。 これが「考えにとらわれない」ということです。 (新年早々、またも己の身を教材にしてしまいました) 次に ・人間関係にとらわれないこと 人間関係は本質的に粘着性のものです。 それが良い働きをすると、揺れ動き易い自分を安定させてくれるのですが、悪い働きをすると、自由な身動きを取れなくさせてしまいます。 誰とも仲良くし、しかし誰にも束縛されず、みたいな軟体ぶりを発揮できると良いと思います。 自分を束縛しそうな人からはすたこら逃げ、自分が他人を束縛していないか気を付け、「あの人がどう思うかな」の考えがよぎったら、それを捨て、「私は私」で...

92 今年の抱負

1月6日。 あと少し、だらだら。 という訳で、ありがちな「今年の抱負」。 あまりそういうことをやらないのですが、今年はふと浮かびました。 それは「語る言葉を選ぶ」こと。 主に、話題のことです。 記事84で書いたことですが(番号を振るとこういう時、便利)、 「自分の考えていることに責任を持たなくてはならない… あることを考えたくなかったら、そのことを口に出してはいけない… 考えていることの全てを口にする必要もない。 まず自分の言葉によく注意することから始めるのだ。 良い目的のある時にのみ話すようにする。 望まないことを考える必要はないし言う必要もない… 」 思考をコントロールすることはかなり出来るようになっているのですが 、「口に出す」方がなかなか上手く出来ません。 このおしゃべり男には。 例えば、嫌なことが起きる。 そのことにまつわる考えを止めることは比較的容易に出来るのです。 しかし親しい人に「最近どうでした?」と問われると「いや、実はね」と始めてしまう。 もっとも、それが絶対にいけないという訳では無いし、会話の自然な流れというものもあるのですが、それにしても堰がゆるい気がします。 「そもそもこれって自分が取り扱いたい内容?」という吟味を、語る前にしたいと思うのです。 本当に辛いこと、苦しいことは、確かに人に打ち明けることで何か浄化されるものがあったりもしますが、私の場合、そういうのはもうほとんど無いんですよね。 受け入れ名人になってしまったので。 一方、もう自分の中で割り切ってしまっている、本当にどーでもいいこと、お粗末すぎる他人の過ちについて語ることは、自分の品位を落とすことにしかならないと思います。 あいにく、そういう方々が若干数身近にいるので、出来事には事欠かないのですが、 だからこそ、ここが自分の試しとなるのかなと思います。 それが今年の抱負です。 …なんて言って、新年会で「最近どうでした?」からの「いや、実はね」をやってしまったのですが(笑) まあ、出来なくても努力するだけでも価値はあるので。 頑張ります。

91 お正月

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皆様お正月はいかがお過ごしでしょうか。 ぼちぼちブログを再開しようかと思うのですが、年末年始で通常の流れが切れてしまったので、何を書いたら良いかまだ分からずにいます。 本当にこのお正月という行事の力は凄いものです。 …なんてことを感じるのも勿論、個人差だとは思うのですが、私はやたらと居住まいを正したがるのです。 普段からそれなりに掃除は行き届いている(と思う)ので、大掃除はやらないのですが、御札を取り替え、注連縄を新しくし、松飾り正月飾り、それに梅の枝を買い求め、毎年ながら非常に段取り悪く何往復もしておせちの食材を調達し、そして、おせちの作成に取り掛かります。 今年は親に第一弾、来客用に第二弾と、二段構えのおせち作りとなりました。 これまた居住まいを正したがり、4段の重箱にぎっしり12品も、手抜きせずに一から作るのです。 御覧くださいな。 https://www.instagram.com/p/DEYqHk1zAxW/?img_index=1 歳の内の考えを新年に垂れ流すのは良くないと思い、ブログの書き溜めもしないので、ネタ切れ状態。 さて、何を書こうと思っても、新年早々、何事もなかったかのようにまた教えめいたことを淡々と語りだすのもどんなものかと思い、とりあえず今日はだらだらと綴ってみることにしました。 この年越し、余韻に残ったことはと言えば、二つ。 一つは毎年の梅の枝ですが、買い物の列に並びながら、実に風流なことだ、と思いました。 売り物の時点では、蕾はあれど、花は咲いていません。 これを元日に合わせて花開くように、日向に置いておきます。 早すぎると勿体ないし、遅すぎると残念。 目論見通り、次第に一つまた一つと開花していくと、ほのかに梅の香りが香ってきます。 梅が枝に 鳴きて移ろふ うぐひすの などと思い出し、古今和歌集を開いてみたりします。 いつから自分はこうなったんだっけなあ、そしていかに、と考えると、実に歳月と、関わる皆様方にこの暮らしを成り立たせて頂き、また感受性を育てて頂いたことが思いやられました。 それは自分に内在していた性質であった訳ですが、そういったものは全て、他者や環境の力に刺激されて初めて、次第に引き出され、形を明らかにしていったのでした。 まさに、梅の花のように。 そんな訳で、私はこうして出来上がった自分流のお正月の過ごし方が、とても好きな...

90 謹賀新年

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 新年あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 今年は巳(へび)のごとく脱皮する年! 皆様の御多幸をお祈りします。 令和七年元旦 河邊正則