小さな変化3
「放っておけば劣化するのが自然界の現実」と昨日書きましたが、例えばラッコは一日の大半、毛づくろいをしているそうです。 というのは、そうしませんと、撥水性が落ちて水に沈んでしまうとか、皮膚が濡れて体温が下がってしまうからとか、そういうデメリットがあるからです。 そういうことです。 そういう目で見ると、命あるものはみんな努力をしています。 私たち人間は違う所で努力していますが、それはちょっとずれているんじゃないかなと思います。 ラッコのように自分を保つために必要な努力をするのではなく、もっと楽したいとか、もっと欲しいとか、嫌なことから逃げたいとか、そういうことのための努力ばかりしています。 しかしそれは自然界が生み出した生き物として法則というか、当たり前のことに反しているからこそ、叶わないのではないでしょうか。 「何を言っているんだ。それ以前におまえはもうほとんど沈みかけているラッコじゃないか」というようなことです。 私自身、大きな問題が沢山あったし、これからもあると思うのですが、過去を振り返る限りでは、最低限のことをしていないラッコでした。 だから大変だったのは当たり前だったと思います。 そのことに気付かず、こういう体の作りにした神様が悪いとか水というものの性質が悪いとか、ああ、だから生きるのは大変なんだとか、そんなようなことを言ってばかりいた気がします。 それを言うのは自由なのですが、それをどんなに続けても絶対に現実が良くならないことは目に見えています。 「放っておけば毎日劣化していく」ということをわきまえることは、人生をより良いものにしていくために必要な最低限の理解ではないかと今では考えています。 大きい問題は目に付きやすいのですが、さてそれを解決しようとするととても難しいものです。 そもそもどうしてそのような大きな問題が起きているのか、起きてしまったのかも、なかなか分からないものです。 大きな問題は小さな原因の積み重ねの結果だと思います。 そこで小さな問題を一つ一つ解いていくことが大切になってきます。 小さな問題というのは、そもそも問題として認識されていません。 だからこそ、「小さな問題」なのですが。 普通、それは自分にとって当たり前のことと認識されています。 例えば、姿勢が悪いこと、靴を揃えないこと、戸棚を閉めないことなどです。 私自身について言うと、自分の行...