問題提起と解決の時
昨日、こう書きました。
問題が提起されている時、それは同時に解決が視野に入っている時です。これは体の問題に限ったことではないのです。
人生に起きる全てのことが、このパターンを踏んでいます。
残念ながら、必ずしも私たちがその流れに正しく乗れるわけではないのですが。
ある問題が起きた時、こう言われているのです。
「いま起きている問題をよく見なさい。
よく見れば何が改善点であるか今のあなたには分かるはずだから見せているのですよ」と。
でも、それでもやはり分からない時もあります。
分かるまで、心は問題提起を続けます。
これが反復的、周期的に、または持続的に問題が発生する理由です。
問題は無目的に起きているのではありません。
ですから例えば人間関係ならば、相手への非難をどこかの時点でやめて、自分はどこに引っかかっているのだろう、どうだったら満足なのだろう、そして自分はなぜそういう願望を持っているのだろう、ということを考え始める必要があります。
私自身も何度もそれを体験し、そのたびにとても苦しい思いをしましたし、これからもすることと思いますが、しかしそれらを通して、自分の深い問題、心の傷に気付くことが出来たと思います。
今の自分なら分かるから、問題が示されたのだと思います。
問題発生はできれば避けたいものです。
苦しみがない人生が可能ならば、ぜひともそれがほしいものです。
しかし結局それでは私たちは何も学べないのでしょう。
苦しみというものは、自分を成長させるか、自分を破滅させるか、二つに一つの厳しいものです。
でもこのように人生を観察し、生きるようになると、この人生というものがどこに向かって、何を求めているのか、ということがだんだん明らかになってきます。
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