友2
本当の友だちというものは、自分を晒すという厳しい営みの結果、必然的な人員整理が行われることを通して得られるものだと思います。
この場合の「自分を晒す」というのは、無作為の人々に対してSNSで自分を晒すことを意味しません。
そうではなくて、今目の前にいる相手に対して自分の全てを打ち明けるというようなことです。
とても勇気のいることです。
私はヒーラー/カウンセラーとして皆さまに会いますが、「話を聞くのが仕事」の相手にさえ、自分の悩みや苦しみを打ち明けるのは難しいでしょう。
そもそも自分の中で整理がついておらず言葉に出来ないとか、問題認識以前の段階にいるということもあります。
「なんでも話していいんですよ」と言っている人の前でも言えないことを、「どうかな、言っていいかな」と思う人の前で言えるはずがありません。
そしてこのように心に鍵がかかっていると、本当の友だちと呼び得る人には会えないものなのです。
先日、別の方から「自分の本当に深い話をしたら、その人に去られた。それ以来、深いレベルの交流を恐れるようになった」という話を聞きました。
その体験自体は気の毒ですが、ここで二つ考えるべきことがあります。
1.どう捉えるかは相手の裁量。あなたが本心を語ることを止めてはいけない。
2.あなた自身はどうか? どんな重い話を聞いても受け止める度量があるか。
考えてみて下さい。
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