友1
私は子供の頃、祖母の影響で花札が大好きでした。
で、花札から人生の初期の学びを得たのでした。
祖母はだいぶ崩れたルールで仲間内で花札をやっていたようなのですが、ともかく「さらし」というのがありました。
持ち札の全てが0点の札である場合、持ち札を、他の人が見えるように卓上に晒すのです。
リスクがある反面、最後に特別な加点を得ることが出来ます。
それで幼心に私は「弱みの全てを晒すことは力になる」ということを学んだのでした。
その学びが直接的に実を結んだとは思いませんが、私はとにかく自分を晒すことを覚えました。
もちろん相手は選びます。
誰彼構わず自分を晒すことは自分に大きな損害を与えることがしばしばなので、そういうことはしません。
この話をするのは、最近、「話せる友がいる/いない」という話題が続けざまに出たからです。
話せる友がいない人は、そのことで苦しさがあるようです。
私は話せる友に恵まれているので、何でも話すことが出来ます。
これは私の人生の中でも最大の恩恵の一つです。
もちろん、このような友だちとの関係にもルールがあります。
私もまた、友の話すことを何でも聞きます。
してもらうことを、当然相手にもします。
決して否定しません。
だから私も否定されないのです。
しかしそれだけでは充分ではありません。
「そうだね。分かるよ」と言うだけなら、その気になれば誰でも出来ます。
でもやはり心からの共感がそこになければ意味はないのです。
結局、自分と同等かそれ以上の苦しみを知る人にしか、自分の苦しみを分かち合うことは出来ないでしょう。
私と友だちの会話において、私たちは互いに決して相手を否定しませんが、必要があれば助言します。
でもそれは単に仲良しだから可能になっているという訳ではないんですよね。
そういう意味では馴れ合いではないです。
「いいなあ、そんな友だちがいて」と言われることが時々あるのですが、そんな友だちを作る、というか引き寄せる方法があるので、次回お話します。
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