44 『最後の教え 人生を切り開く癖直しの秘訣』
本書のお教えする内容に従えば必ず人生は開けます。「開ける」の内容が何であるかは、人それぞれです。お金持ちになる保証はしませんし、魂の伴侶に出会える保証もしません。なぜならそもそもあなたの無意識が望んでいないことは、あなたの人生において叶わないのですから。そしてそれはあなたが決められることではないのです。
しかしどんな無意識も必ずその願いや求めを持っています。その実現のために生きています。無意識と共に生きるか、それとも無意識を押し殺して生きるか、人間が取り得る道は究極的にはこの二つに一つです。真の幸せに続く道は、前者です。
本書はその無意識の営みを加速し、効率化するためのものです。あなたの無意識が望む形で「人生が開ける」ことは、保証できます。
人間は肉体と精神から出来ています。肉体にも精神にも、正しい扱い方というものがあります。例えば肉体には適宜、栄養や温かさを与えなければなりませんね。一方精神にはどのような関わり方が求められているでしょうか。驚くことに、ほとんど誰もその正しい方法を知らないのです。
精神はどういう仕組になっているのでしょうか。図を見て下さい。
意識は、外的な現実世界での立ち回りを担当します。平たく言えば、世渡りですね。またあなたが把握している、把握できる、あなたの精神的領域でもあります。例えばあなたは自分を「こういう人間だ」と言葉によって認識していますね。そしてその認識に基づいて願望したり葛藤したりしているはずです。
意識は「私」という自覚と密接に結びついています。ですからあなたは、自分の人生の主役を、意識=あなた自身だと思っているでしょう。
しかし実は精神の本体は無意識なのです。ここが最初の要注意ポイントです。人生を作っているのは無意識です。意識ではありません。
これで恐らく人生の最大の謎の一つが解かれることでしょう。すなわち、「なぜ自分の望んだ通りの人生にならないのか?」答えは簡単で、人生を作っているのは、作る権限があるのは、意識ではないからです。努力が足りないからではないし、誰かのせいでもないのですよ。無意識の望みや必要と一致した時だけ、意識の願望は実現します。それを意識は「自分の意志が通った」「努力が実った」と誤認しますが、実際には、無意識と求めが一致したために得られた達成なのです。
では全く脇役に思える意識とは一体何なのか?
意識は、政府のようなものなのです。一方、無意識は国民です。政府は、国民の代表者、利害の調整者として必要です。無政府で営まれる大規模社会はあり得ません。しかし忘れてはならないことは、あくまでも国民が先にあって、政府は必要上生じたという、その序列です。政府が自らを主役と考え、国民を無視し、国民から搾取をするようなことをすれば独裁制になります。そのような政権は遅かれ早かれ転覆されます。そのように心を扱う人は、遅かれ早かれ、人生の苦難という形で、無意識による強力な反乱に遭うことになるのです。
つまり、本当の意味で生きているのは無意識で、無意識が生きるために必要上、前面に設置しているのが「私」という意識なのです。この序列は何度も思い出すようにして下さい。これを間違えると人生は大変なことになります。
無意識についての説明も、今の比喩で充分だと思います。無意識とは何か、と言えば「把握できない全て」です。国民を一概に説明することは出来ないでしょう。千差万別の個人の集団です。そこには良い人もいるし、悪い人もいます。生産的な人もいれば、破壊的な人もいます。あなたの精神には、様々なエネルギーが内包されているのです。
優秀な政府は、国民をよく理解し、束ね、方向付け、生産性や幸福実現度を高めることが出来ます。意識の存在理由と目的は、無意識に対する理解を終わりなく進めていくということなのです。
肉体はエネルギーが不足すると空腹を覚えさせますし、疲れれば眠たくなります。こういうことは全て、勝手になされることです。精神もまた同じように、勝手に何かをし続けています。
肉体と精神はあらゆる点で相似形を成しています。肉体が何をしなくてもエネルギーを消費し続けるのに対し、精神は何をしなくてもエネルギーを創造し続けます。
精神のエネルギーとは何か? それは最初、正体の知れない何物かなのですが、やがて、欲望や感情などと言った、あなたにとって認識可能な精神的体験内容に変圧されて、意識に浮上してきます。
これが二番目に重要なポイントです。無意識は意識に向かって休みのない浮上を続けるのです。そして多くの場合、意識にまで上がってきた時に、私たちは「これがほしい」とか「あんなことをしてみたい」と認識するようになります。つまり文字通りに、無意識的な求めが、具体的に意識されるのです。あるいは「大丈夫だ」という絶対的な確信が湧いてくることもあります。無理をして自分自身に対して「大丈夫だ、大丈夫だ」などと言い聞かせる必要はないのです。追い込まれることによって、「大丈夫」は生存本能として必ず無意識の深層から湧いてきます。そしてその時、現実が本当に「大丈夫」になるのです。なぜなら無意識はその内容に合わせた現実を創るからです。
健全な場合、無意識で生まれた精神エネルギーは、意識を通過することで、現実に表出されることになります。ここまでが一連の流れです。これを普通、私たちは「夢が叶う」と言います。
しかしこれが上手く行かない場合、精神エネルギーは逆流して再び無意識に戻ります。ごく一部の例外を除いて、皆様のほとんど全ての人生の困難や不調はこの現象によって起きています。
この原理をもう少し詳しく説明します。意識は外郭に「固定観念」という一種の被膜を纏っています。この固定観念が分厚いと、無意識で生まれた精神エネルギーは意識を通過して現実に出ていくことが出来ないのです。固定観念は、実相に反した「こうあるべき」という誤った信念であり、本来起きるべきことを起こさせないようにしてしまう力です。
図の右側が、逆流の流れです。一方、左側は、固定観念に妨害されずに外界に表出したことを示しています。
固定観念の強い人、弱い人という分類は可能ですが、総じて固定観念の強い人にも、固定観念がそれほど働かない分野がありますし、逆も同様です。
逆流し、無意識に戻った精神エネルギーはどうなるのでしょうか。重要なポイントその3は、精神エネルギーは決して消滅しないということです。ですからどんなに押し殺しても消えることはありません。生き残り続け、時期を見て再浮上を必ず試みます。例えばある問題状況に対して「こんなことを許されない」とか「本来こうでなければならない」と考えることは、固定観念の産物です。しかし実際にはそれが起きている、または起きていないのが現実です。
次節で後述するようにその現実は、あなたの無意識から生まれ出てきたものなのですから、現実否定は自己否定なのです。否定されればされるほど、無意識からの突き上げは強くなります。つまりあなたの問題状況は複雑化していくということです。周期的な不調の原因はほとんど常にこれです。
たとえ納得が行かないことでも、あるがままに肯定しなければなりません。スポーツゲームのようなものだと考えて下さい。あなたからより大きな現実肯定の力を引き出すために、この問題状況は与えられているのです。ハードルは必ず、超えられるぎりぎりの高さに設定されているものです。
別の所に目を移しましょう。上図の円の外側、つまり現実世界とは何なのか? 現実とは、無意識の鏡像またはモニターなのです。取るに足りないことは別として、あなたにとって印象的なこと、避けられないことなどは、すべて無意識の写し絵です。良いことも、悪いことも、全てです。
人間の通常の認識能力は、内側に向かうのが苦手で、一方外側を見るのは得意なので、外的現実を通して内的現実を見るように出来ているのです。誰がそんなふうに設計したのでしょうね? 謎です。とても良く出来ています。
しかしこの映写には特徴があります。重要なポイントその4。無意識の鏡像としての現実は、あなたの固定観念の強さに比例して、割増表現されます。不快な人や迷惑をかける人や、深刻な事態は、あなたの内的問題の一種の誇大表現なのです。その問題を通して、内省と自己改革をすることが促されているのです。
しかし、この方法は正直に言って、あまり功を奏していない気がします。多くの人が、情報を誤認して、まるで外に本当の問題があるかのように錯覚するのです。実際には影に過ぎないのですが。と言っても無意識の方に修正を求めることは出来ません。生命原則なのですから、変更はあり得ないのです。私たちが、そのやり方に精通するしかないのです。
こういった仕組みの背後にはどういった目的があるのでしょうか。それは既に述べたように、まず無意識は精神エネルギーを生み出し続けます。そしてそれは常に外界に表出することを方向付けられています。私たちは固定観念の強度によって、その運動の妨害者になります。無意識は自律性を持っており、このエネルギー運動に問題があればその解消のために一計を案じます。あなたの前に鏡を置いて、あなたの無意識で何が問題になっているかを知らせ(あなたが気付くと良いんですが)、流れの邪魔にならないように、あなたが固定観念を小さくすることを望むのです。
問題を抱えている人の無意識は、その程度に比例して、抑圧されたエネルギーでぎゅうぎゅうになっています。それらは外に出ていくことが出来ずに、出戻ってきた感情や欲求です。この状況は幼少期に起源を持ち、そこから上乗せまた上乗せが続いて現在に至っています。
だから本当に心から問題状況を解決したいのであれば、そのぎゅうぎゅう状態を解消しなければならないのです。外に目を奪われてはいけません。その方法では一生問題は解決できません。一歩も前に進まないだけでなく、加齢による精神的硬化によって対応がどんどん難しくなっていきます。現実問題を作り出しているのは無意識なのだということを忘れないようにしましょう。
ではぎゅうぎゅう状態が解消された人、または運良く最初からぎゅうぎゅう状態になっていない人の場合(こういう人は幼少期が幸せです)、どうなるのでしょうか。勿論、変わらずに精神エネルギーは無意識で生産され続けます。しかし良好な状態にある人は、固定観念という塀がとても低いか、または無いので、精神エネルギーの現実への表出は、少ない抵抗で、または追い風すらをも受けて行われます。上手く行っている人や満ち足りている人には、こういうことが内部で起きているのです。
しかし完璧な人などいません。どこかに固定観念は必ずあるものです。そして重要なポイントの5番目(ただし中級者以上用)ですが、精神エネルギーは実現を重ねるに従って、より高度で複雑なものになっていきます。より精妙な精神エネルギーを通過させるために、更に固定観念は小さくされなければならなくなります。これが無我に近付くということです。
さて、これで私たちがすべきことは固定観念の縮小だということがお分かり頂けたと思います。と言われても、ご自分の何が固定観念かということは分からないと思います。それは当然のことで、私たちは誰もが自分が信じていることは正しいと考えますから、それは固定観念だと指摘されたとしても、「いいえ? だってそうとしか考えられないでしょう」と反応するものです。自分の固定観念にはそう簡単には気付けないように出来ています。
しかし、固定観念は必ず「癖」に表れています。癖は言ってみれば、固定観念の尻尾です。そこで、癖直しが、人生を切り開くために為すべきたった一つのこととなります。
私は経験的に、本当にこれ以外何もしなくていいと信じています。なぜならあなたが直面すべき現実は常に無意識が勝手に送りつけてくる以上、あなたはその対応さえしていれば良いのです(ペースが速いので他のことをする時間などないはずです)。その対応が下手で、精神エネルギーを拒絶してしまえば、そこから病気や閉塞が始まりますが、一方、対応が上手で、精神エネルギーを上手く現実世界に表出させることが出来れば、自動的に問題は解決されるし、それに続く発展も自動的にもたらされるからです。
信じられないかもしれませんが、冒頭にも述べたように、私はこの方法しか人に指導したことはありませんし、自分もずっとそうしてきていますが、これ以上に効率の良い方法を私は知りません。逆に、これ以外の方法、つまり外的に反映された個別の出来事をいちいち真に受けて対応することは効率が悪すぎるのです。
では癖直しはどうやって行われるのでしょうか。癖は必ず、(1)仕草(2)言葉と声(3)考え方に表れています。そういう訳で、仏教ではこれを身口意(しんくい)と呼んできたのだと思います。覚えましょう。そして絶えずご自分をチェックするようにして下さい。
一番簡単な方法は、身近な人にご自身の癖を指摘してもらうことです。そしてそれをメモに取り、日々注意するようにします。意見は様々な人からもらうのが良いでしょう。癖というのは要するに、「目立つが、不必要なもの」です。
無意識のどの成分がこの癖を形成しているのだろうかということを考える必要はありません。分かるとしたら、後で分かります。今の時点で可能な限り、癖のない人を目指しましょう。
問題の閉塞度と、固定観念の強度と、癖の多さは、必ず同じレベルで保たれています。癖直しを通して、精神エネルギーの自然表出を妨げる固定観念の縮小に努めれば、全く動かなかった現実が動き始めるはずです。問題の究極的原因は、精神エネルギーの「詰まり」にあるのだということを理解しましょう。
よく観察すれば、人生が順風な人や、力のある人ほど、無駄な動きが少ないことに気付くことが出来ると思います。その他に、生活の中の所作では、歩き方、座り方、食べ方など全てを見直すことが出来ると思います。しなくても良いことやその気になれば抑制できることは、この文脈では全て癖に該当します。
言葉と声(口)は、それよりも少し難しいです。まずは言葉遣いを丁寧にすることです。でも常にお上品であれという意味ではありません。状況や相手によって物言いを変えるのは問題ではありません。大切なのは「癖のない話し方を出来る」という能力です。ついでながら、溜め息と鼻歌はやめた方が良いです。
言葉と連動して、より大切なのは声、つまり発声方法です。瞑想をするとどなたも声が通常よりも低く、深く、落ち着きます。それが本来の声なのです。固定観念の強度に比例して、声は高く、硬く、速くなる傾向があります。瞑想を習慣にするのは難しいでしょうが、ご自分が今どんな声で喋っているかに注意を向けることはそれほど困難ではないでしょう。低く、柔らかく、ゆっくりと話すように努めることが大切です。
この過程は一種のパズルゲームであって、力比べではありません。考え方を切り替えれば必ず解けるように出来ています。一方、考えを変えないままではどれだけ力を尽くしても解決どころか問題が悪化か、または当座の解決は得られるものの、後で倍増して返ってくるするように出来ています。
私たちは問題状況に置かれる都度、波動を向上させるか低下させるかという二つの道の前に立つことになります。色や音のように波動にも様々ありますが、真に重要なのは、高いか低いかだけです。高い波動に到達することによって、人は、あらゆる状況に対して優位を保てるようになります。つまり、振り回されなくなる、ということです。身口意の癖がなくなればなくなるほど、波動は高まっていきます。
あなたが現時点において取り除くべき固定観念が何であるかということは、無意識によって既に目の前に提示されています。ここに、問題状況を「受け入れる」「拒む」という二つの選択肢がある訳ですが、内容如何によらず、常に「受け入れる」を選択することが正解です。もちろん、簡単なことではありません。しかし「拒む」を選択した場合、同じ問題が永続することになります。それが、不満を言う人は何年経っても同じ不満を言っている理由です。どちらがましでしょうか。
ただし「受け入れる」は、常に「他人からの無理難題を受け入れる」を意味するとは限りません。「受け入れる」は内外どちらにも開かれているのです。もしあなたが受動的であるために他人に利用され続けているのだとしたら、あなたが受け入れるべきなのは、「あなたには自分を優先する権利があるという事実」です。このように、個々のケースに合わせて考えなくてはなりません。
しかし基本的には、今までの考え方が間違っているので起きている問題なので、今までと違うように考える工夫をすれば良いのです。このように、考え方の「癖」を直していくことが出来ます。
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