内省2
人生は課題の行列であり、一つ一つ応じていくことが正攻法、と私は思いました。
実際、自分そして他人の人生を観察していると、同じパターンが繰り返されていることに気付きます。
「またやってる」なのです。
でもなぜそうなるのか、なかなか分からない。
実際には凸凹が噛み合うように、必ず自分に見合う相手や状況がもたらされているのです。
まったく、ここには寸分の狂いもないと思います。
しかしそれでは納得が行かないので、他人のせいにしたり状況のせいにしたり、あるいはスピリチュアルっぽい仮説にすがったりしますが、どこまで行っても自分の内的な問題の解決契機として、諸々の状況は与えられているのです。
私は自分の成長につれて、「なぜこれが起きる」に対する答えを得るまでの時間がどんどん短くなってきたと思います。
以前は、自分の身には理不尽なことばかりが起きていると思っていました。
それが何年も、事によっては十何年も続いていました。
理不尽というのはただ「苦しい」というだけの意味ではなくて、「意味が分からない」という含みもあります。
苦しみの意味が分からないということは、しばしば苦しみそれ自体よりも大きな力を持つものです。
後になってみると「ああだったからか」と分かることがあります。
だいたい、現在の自分は過去の自分より多少は利口です。
そこで、今の内から未来の自分になりきって、現在の自分を振り返ってみます。
それは簡単に言えば、俯瞰して見る、主観から離れて観察する、ということです。
そして自分と他人の立場を置き換えてみたりする。
すると「なるほど」と腑に落ちて、それと共に内的な課題がまた一つ解決されるということがあります。
そのために、瞑想や気分転換が欠かせません。
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