友3
人には度量というものがあります。
「こういうことだけは許されない」「絶対理解不能」というようなことがあります。
結論を言えばそういうものは全てこだわりです。
でも仕方ありません。
こだわりから一切無縁という境地は程遠いものです。
簡単に言えば、人それぞれ色々な理由や事情があり、理解不能なことでもせざるを得ないことがある…というのが現実です。
私も皆さまが聞いたらぎょっとするような話をいくつか持っていますよ。
でも私は自分自身がそうだから、他の人からその人自身にとって言うことが憚られるようなことを聞いても、眉一つ動かさないのです。
人間というのはそういうものだと知っているので。
中にはそうでない人もいますが…普通、苦しみの大きい人ほど他人の苦しみにも寛容なものです。
頼まれもしないのに助言をしたり嫌悪感を示したりはしないものですし、しったかぶった顔もしないものです。
すると、ここに人員整理の秘訣があるとも言えます。
もっとも、この人員整理は「誰を切る」ということを意識的にするのではありません。
勝手にそうなるのです。
あなたがあなたの等身大の喜怒哀楽を表現した時、諸々の形を通して拒否する人は、あなたの本当の友だちではありません。
これはテクニックの問題ではなく、波動の問題なのです。
波動的に合わない者同士は早晩分かれることになります。
私の考えでは、そういう分かれは早い方が良い。
というのは、無理に合わせている時間/期間というのは、後になって振り返ればただの時間と労力の無駄ですので(*家族はまた別問題。今は友だちの話)。
もしあなたが本当の友だちがほしいと望むのであれば、格好つけず、相手に調子を合わせず、取り繕わず、自分の等身大の喜怒哀楽や悩み苦しみ、全てのありようを表現することです。
それは「素直さ」という階段を登っていく(または下降していく)一段一段となり、その先に、本当の友だちとの出会いが待っているのです。
明日は瞑想会があります。
是非ご参加下さい。
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