小さな変化2

簡単に言えば、育ちの良い人、親から充分な配慮と関心を受けて育った人は、良い習慣を持っている傾向にあります。
逆にそうでない人は、親から指導されたり、良い見本を提示されなかったために、心身ともに健康であるための最低限のテクニックを学んでいない傾向にあります。
私は放置されて育ったので、当たり前のことを全然身に付けないまま大人になってしまい、40歳くらいになってからようやく、「ああ、これが皆が当たり前にしていることなんだ」と分かってきたという次第です。
そして、分かって良かったと思います。

人生は確かに混乱に満ちているのですが、自分自身の習慣や行動が安定していると、その混乱に上手く応じることが出来る可能性が高まると思います。
人生は実際、気紛れに見えます。
それに応じる自分もまた気紛れだと、本当に酷いことになります。
人生は混沌に満ちているからこそ、せめて自分だけは内なる秩序を保った方が良い、というのは私が経験から学んだことです。
そしてそのためにはどんな特別な修行もおまじないも必要なく、堅実に毎日を営んでいくことなんですね。

可能な限り、家を綺麗に保つようにしています。
そしてその努力を続ければ続けるほど、「ここにも手落ちがある」ということに気付きます。
自分のだらしなさは自分の生活の至る所に表れています。
家を綺麗に保つことはそれ自体が目的なのではなく、自分の秩序を守ろうとする傾向性の強化のために必要な方便です。

同じことは言葉や体についても当て嵌まります。
「これでいいでしょ」と言い出すとどんどん落ちていくのが現実だと思います。
常に劣化している、というのは自然界の現実です。
だからこそ、常に更新し続けることがあるということです。

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