子供とインナーチャイルド6
今までのお話を、インナーチャイルド問題の解決に、いくらか転用できる気がするのです。
インナーチャイルドの問題は、私たちの内部で、幼少期のある時点で止まったままになっている時計の針のようなものです。
それは「与えてほしいのに与えてもらえなかった」というような心の傷です。
色々あるでしょうが、煎じ詰めていけば、それは「愛の証明」だったことだと思います。
随分前にも書いたことがあるのですが、『機動戦士ガンダム』の中で、アムロが敵兵を撃つ場面があります。
それを見た母親がショックのあまり「息子がそんなことをするなんて」と嘆くと、アムロは呆然として「じゃあ僕が撃たれて死んでも構わなかったの? 母さんは僕を愛していないの」と問う。
これに対する母親の答えが酷いもので、「息子を愛さない母親なんていないよ」と言うのです。
アムロは言葉もありませんでした。
何が最悪か、分かるでしょうか。
答えは「一般化」です。
世界にたった一人しかいないこの自分を、世界にたった一人しかいないお母さんが愛してくれているのかいないのかということだけが問題になっている時に「母親というものは」という答えが口をついて出てしまったのは、母親から息子に向けられる感情に愛が欠如していたことの何よりの証明だと思えてなりません。
皆様のお母様だったらこのような時、どんな答えをされると思いますか?
話を戻すと、私たちは愛を受け、愛を感じ、愛に育まれるように生まれついています。
だから愛を体験できないと、何かがおかしい、といってそこで時が止まってしまうのです。
人生の混乱と停滞の究極的な原因はここにあると思います。
問題になるのは「子供が」愛を感じられたかどうかであって、「親が」愛を与えた覚えがあるかどうかではありません。
非常にしばしば、子供がこの問題について親に嘆きを伝えると、親はそれこそ反撃するかのように「あなたにはあれもしてあげた、これもしてあげた、この上に何が不満なのか」と言い、子供の心をねじ伏せようとします。
基本的に、この関係は一生変わりません。
だから親との関係では、このことは諦めないといけません。
皆様もくれぐれもこの問題で親御さんとお話し合いになりませんように!代わりに、問題の軸を〈親ー自分〉から〈自分ーインナーチャイルド〉に移し替えなくてはいけないのです。
それは〈自我ー無意識〉と言い換えることも出来ます。
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二枚目のアルバムが完成しました。
https://soundcloud.com/ocsbcycixgij/sets
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