感度2
感度の話の続きですが、あまり高めすぎるのも良くないのです。
ではどの辺りに収まるべきか、というのは昨日もお話したように、個別的、先天的なものです。
ですから自然にしていればちゃんとそこに落ち着くようになっています。
でも多くの場合、なかなかそこに行き当たることが難しく、情報の不足によって害毒を害毒と認識せずに取り続けたり、または逆に情報の過剰によって必要以上に潔癖になろうとするものです。
例えば私は菜食主義というのが好きではありません。
なぜなら菜食がその人に適合しているかどうかは、本当に個性に帰することだからです。
この食べ方が体に良くて、これに合わせないといけないという考えは頭脳偏重なんですね。
体の声、心の求めを聞かないといけない。
正しいナントカ主義というのはありません。
ちなみに私は自分のことは菜食趣味と言っています。
主義にはしていません。
「肉を食べないと元気にならない」というのも肉食主義であって、これもまた別の思い込みの産物なんですよね。
肉を食べないことによって逆に体が再生することを経験したことのない人たちが言っているだけです。
私は以前はお肉を人並みに頂いていたし、その後は菜食「主義」も経て、やがて今の菜食趣味に落ち着いたのですが、結局それが自分らしいと思っています。
主義より自分らしさを取ることが大事です。
皆様は身の丈以上に「キレイ」になろうとしているでしょうか。
または身の丈未満に甘んじているでしょうか。
まずは自問してみて下さい。
明日、またちょっとヒントを述べたいと思います。
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