セックスの悩み

Xさんにカウンセリングした。

ちょっとしたやり取りの流れで、Xさんが、あらまし次のような質問をされた。
「家族関係やパートナーシップは難しい。一度聞いてみたかったのだが、自分と家族やパートナーとの距離感はどんな感じがベストなのか」と。

勿論、こういう事柄において普遍的な正解というものは存在しない。
だから「まあ、そこは答えがないですからねえ」で流しても良かったのだが(実際そうなので)、この悩みに関してXさんの中でうずうずと心に膿が溜まっているような気がしたので、こちらからカウンセリングに誘ってみた、という次第。

普通、カウンセリングというものは、よくよく話を聞くものだ、と言われている。
また優れたカウンセラーほど、ほとんど何も言わないらしい。
早々に判断を下し、助言をするカウンセラーは一般的にはあまり評価されないようだ。
私が読む本には、時々そういうことが書いてある。
最近読んだ本にも、やっぱりそう書いてあった。

実際、そうだろうな、と思う。
しかし性格の個性というものもあり、私はちゃんと聞くことは聞くのだが、その後必ず強くはっきり意見を言う。
そういうのはどんなものかと思うけれど、Xさんに「いや、きっぱり言ってもらえるのが有り難い」と言って頂いたので、これがカワベ式と開き直ることにする。
Xさんだけでなく、他の皆様からも日頃そう言って頂いているので。

どんな形のものであれ、問題というのは、かなり、かなり、かなり、奥の方から発生していることが多い。
そしてそれは奥の奥にしまい込んでいるので、自分自身でも気付いていなかったり、蓋を明けるのが怖かったりするものである。
こんなものを〈友人〉くらいに打ち明けることは出来ない。
〈心の友〉か、または何でも来いのカウンセラーにしか話せない。

よく「これも言っていいんですかね」と言われ、「どうぞ」と言い、聞いた後でも私が平然としているので、むしろ語った方が驚く、というようなことがある。
顔色一つ変えずに(無表情という意味ではなく)、つまりどんな拒絶もなしに話を聞いてもらえた時に、自然と開く心の扉みたいなものがある。

扉はだいたい固く閉ざされているので、こちらの方からノックして開けてあげる。
Xさんにはセックスのことを詳しく訊いた。
普通、この手の質問はあまり詳しくはされないし、普通、されたら不快なので、この問題は手つかずのまま放置されていることが多い。
そういう所にこそ、解決の鍵がしばしばある。
そこの鍵が開くと、他のも連動してばらばらと鍵が開くようになっているような鍵が。
そしてそのばらばらと連動して開いた鍵が、目下の懸案に関するものだったりするのだ。

Xさんは随分すっきりされたようだ。
「セックスの話は、いくら仲の良い人だとしても自分からは話しにくかったので、話を振って下さって、本当助かりました。流石です」と後ほど感謝を伝えて下さった。
人の悩みを聞いてこう言うのも何だが、カウンセリングは面白い。
心の深い所に、共に潜っていくのは素晴らしい体験だと、いつもながら思う。

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