神を頼るVS神を祀る
〈神頼み〉することと、〈神を祀る〉ことは違う。
前者はお願い。後者は挨拶。
前者は〈まだほしがる〉態度。後者は〈既に頂いたものに感謝する〉態度。
神頼みしてはいけない、とは思っていない。
しないのが正しい、とも言いたい訳ではない。
しかし信心を重ねていくと、既に与えられているものの多さに気付くようになる。
するともうこの上、何かを更にお願いするという発想がだんだん持てなくなってくる。
それは喩えて言うなら、充分に美味しく調理された食事に対して「おいしくなあれ」と言うようなもの。
それは料理してくれた人に失礼というもの。
神はまだ何かを与えてくれていないのではなく、既にかなりのものを与えてくれている。
そういう訳で、普段、私は神にお願いはしない。
代わりに、神棚に向かう時は、神に対する感謝と信頼を、心に蘇らせるようにしている。
うっかりすると、すぐにそういうものが薄れていく自分だから。
『論語』には「日に三度我が身を省みる」という言葉がある。
こういうことを軽く聞き逃してしまいがちだけれど、これは凄い習慣である。
放っておくと私たちは反省するまでに三年も費やしているようなことがよくある。
だから孔子に倣って私も日に数回、自分の心がどうなっているかを点検するようにしている。
心が清くないと、現実もそれ相応に濁ったものになることを知っているから。
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