克服(前編)ー親由来の問題3

親由来の問題の克服のために二つの二つの方法がある。
第一はトラウマの原体験は終わったことで、実は今はもう起きていないことを理解すること。
第二は自分のことではなく相手のためをひたすら考え、それに基づき振る舞うこと。
今日は前者について語ろうと思う。

例えば「親に怒鳴られる」ということがトラウマの原体験としてあった場合、今なお、誰かから怒鳴られることを想定し、身構え、恐怖に駆られてしまうというようなことがある。
しかし実際には、今なお誰かから怒鳴られるということは、全く無いか、ほとんどないのではないだろうか。
もうしなくて良い防備を未だにしているのだとしたら、それはエネルギーの無駄遣いである。

私の場合、「馬鹿にされる」「理解されない」なんてことがある。
子供の頃よくそのことで悔しい思いをした。
ヒーリングなどという仕事をしていると、やっぱりこれがついて回る。
読者の皆様は勿論そういう人たちではないから、「えー、凄いじゃないですか、ヒーリングできるんだから」と思われるだろうけれども、理解者の輪から一歩踏み出ると「え、何ですか、その怪しい話は」という反応に見舞われる(だから、そういう対人接触を避けている)。
しかしこういうのは主観の問題で、仮にそう言われたとして、憤慨するも、落胆するも、受け流すも、大いに意欲的に説得するも、私次第なのである。
どれでも好きなものを、プラスに作用すると信じられるものを、新たな反応のパターンとして学習し直せば良いのだ。

ただ、出会うべき人というのは良くも悪くも年月の中で自然と狭められていくわけで、私の周りにはヒーリングを理解してくれる人しか今はもういない。
その人たちに対して私が「どうしよう、もし遠隔視の診断が外れて、『なんだ、テキトーなことを言っているか』と思われたら。またはヒーリングで成果が出なかったら。馬鹿にされるかな、愛想を尽かされるかな」なんて考えるのは全く以て勿体ないことだ。
それは、信頼してくれている人に対して、不信感で応じているということだ。
それは失礼なことだし、また甘えでもある。
時々ヒーリングが上手く行かないあるけれど、そういう時には「なんだか今回の件は難しいですね。一緒に考えましょう」というふうに投げかけて、最終的に良い成果に持っていく。
これが、
トラウマの原体験は終わったことで、実は今はもう起きていないことを理解するということである。

私たちは過去の亡霊に苦しめられているが、過去の亡霊に現在の息吹を与えてしまっているのは、他ならぬ自分自身なのである。
Queen の『Now I'm here』という歌があるのだが、その一節が好きである。

Just a new man(俺は生まれ変わった!!)

過去から自由になれない時は、歌って下さい。

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