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2.人間の設計

今回の記事も、これまでの私らしくないぶっ飛んだこと書きますのでご容赦下さい。 「霊たち」は地球在来の神霊的存在ではない、と前回記事に書きましたが、 https://atelierkoshiki.blogspot.com/2025/08/blog-post_31.html その意味する所はつまり、宇宙に由来する、ということです。 もう一つ、宇宙に由来すると言われる存在があります。 人間です。 人類は太古に宇宙人によって創られた、という説があります。 その場合、進化論は少なくとも人間には通用しないということになります。 事実そうなのではないかと考えられるいくつかの判断材料があります。 猿から人間に至るまでの、過渡的生物の痕跡が発見されていないこと、などですね。 他にも色々と、進化論では説明できないことがあるのです。 人間が何者か(たち)によって創られた存在だとすると、そこにはきっと、「本来の心の在り方」もまた設計されていることでしょう。 その中に「霊たち」の存在も含まれるのではないか、と私は思います。 魂の外付けデバイスが「霊たち」だ、と前回記事で書きましたよね。 多くの人々は、感情と同一視する形で魂を大事にはしますが(同一ではないので誤りですが)、「霊たち」が喜んでいるか安らいでいるか元気にしているかは考えません。 それで結局、自分一人の独走状態になってしまい、調和のゆらぎが感じられず、過ちを繰り返してしまうのです。 私の考えでは、魂のままに生きることは大切なのですが、それだけだと衝突を無限に作り出してしまいます。 衝突をうまいこと和らげ、水の中を歩くように優しく生きていくことを可能にする力が、「霊たち」だと思うのです。 どうして創造者たちが人類を創ったのかという問いについては、作業奴隷にするためだった、という説があるようですが、私はそうではないと思います。 またはそういうこともあったかもしれないが、私が話題にしているのは別のケースだと言うことも出来ます。 というのは、これは私の主観的・内的体験にしか根拠のないことなのですが、彼らは人間の中で特別なアンテナの立った人に、良き教えや力を与えてくれます。 貸し与えたその力によって人々により良い道を教えるように導きます。 こういった善意の存在が、奉仕労役を目的として人類を創ったとはどうしても思えないのです。 なぜ彼らが人類を...