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8通目の手紙(2026/01/29) 不思議すぎる偶然、守護霊のメッセージ

大分ご無沙汰しました。 お元気ですか? 最近は少し冷え込んで冬らしさを楽しんでいますが、まだまだ冷えたりません。 先にお知らせです。2月は 2日(月)獅子座満月 17日(火)水瓶座新月 となっております。 ヒーリングのご用命をお待ちしております。 先日、12年ぶりくらいの親友に会いました。 私の家の近くでシェフをしているとのことだったので、お店に出かけました。 再会を喜び合い、そして今晩仕事が終わったら話そう、ということで、夜に彼は私の家を訪れました。 神の話、内なる声の話…。 何の躊躇もなく、お互いの蓄積した体験を共有し合いました。 お互いに身辺の変化があったので長らく会わずにいたのですが、かつて心を分かち合える友と互いに見出した理由は、ここに繋がっていたんだなあと感慨深く思いました。 彼は私の料理に感動し、「色々なところで食べてきたし修行してきたけれど、このレベルで食材を扱える料理人は滅多にないよ…。いるんだなあ」と激賞してくれました。 日々、神秘に満ちています。 先日、前妻の誕生日でした。 招かれたので私も参加させてもらいました。 この時点で大分変わったことをしていると思いますが… 某ファミレスに行きました。 食事をしていると、ハッピーバースデーの歌と共に、プレゼントデザートが。 あれ?お店の人に伝えたんだっけ?と、私たちはどう応じたものか決めかねていました。 すると、誕生日だったのは、なんと隣のテーブルの方だったのです。 あんまり我々が驚いた様子だったので、どうしたのだろう、と向こうも気がついて、こちらの様子を伺っています。 それで私たちは理由を説明しました。 これには相手も驚き、そして、バースデープレゼントをもらえるクーポンをもう一つ持っているのであげますと言ってくれました。 こうして私たちのテーブルにもケーキが運ばれてきた、というわけです。 食べたのは大半、息子でしたが。 しかし話はこれでは終わらないのです。 前妻のお母様が言いました。 「今日小さなイベントに出かけたのだけれど、参加者6人中3人が今日が誕生日だった」と。 こんなことが普通に起きるはずはないので、これぞ宇宙の不思議なからくりなのです。 『魂の道』を読んでくださった方はあるいは覚えがあるかもしれませんが、 「ね、こういうふうに私たちは存在しますよ。働いていますよ。あなたたちが驚くようなことを...

7通目の手紙(2026/01/13) 喜ぶ努力、愛する努力、愛されることを知る努力

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チェロを日々弾く中で、沢山の学びがあります。 その中でも一番大切だと思われるのは、喜ぶこと、です。 それがどんなに難しいことであろうとも、やはりそれは喜ぶに値することなのです。 喜ぶと、難しいことが簡単になります。 これは生きることにもそのまま当て嵌まると思います。 聖書には「いつも喜んでいなさい。どんなことにも感謝しなさい」という一節があります。 「冗談じゃない、こんな状況をどうして喜べる。感謝なんて出来るものか」と思える時もあります。 でも何事もそうあるように、しばしば因果関係を私たちは逆転させています。 いつも喜ぼうとしないから、喜べない状況が来るのです。 いつも感謝しようとしないから、感謝の対極にあるような災厄が来るのです。 喜ぶことも感謝することも、その発生は 「誰かや何かに喜ばせてもらう」 「感謝に値することをしてもらう」 ではなく、自ら着火することです。 喜ぶことも感謝することも、受動的な体験ではなく、多大な精神力を要する能動的な努力の成果です。 幸運の産物などではなく、精神的な技術の結晶なのです。 音楽的、技術的なことの全てが枝葉末節に思えるくらい、私は喜びに集中してチェロを弾くようにしています。 日々、その喜びが色を増していくのを実感しています。 子供との関係に似ています。 幼い子供の相手をすることは、時として非常に苦痛です。 日が沈んでもまだプラモデルを作り(とにかく細かく小さく、難しいので手伝わないといけません)、朝起きてまたすぐにその続きをしていて、そこにあれやこれやと些事が休みなく積み重なっていくと、神経がやられそうになります。(一体作るのに5時間くらいかかりました) でも息子は心から喜んで、その喜びから決して離れようとしません。 「疲れたね」 「休む?」 「ううん、絶対休まない」 (*絶対にお父ちゃんが休ませてもらえないことを同時に意味します…) 喜びたいだけ喜ばせてあげることは、親としての自分が子供に対して出来る最善のことだと考えています。 「おとうちゃんはどうして時々、にこにこしながらまーちゃんのこと見てるの?」 「それはおとうちゃんがおまえのことが大好きで、おまえを見ていると幸せな気持ちになるからだよ」 どういう目で、どういうふうに見られているかということを、子供はよく知っています。 だから、自分の心を喜びという鳥籠の中にいつも注意...

6通目の手紙 2026/01/05 新年挨拶、喜ぶこと、神の問いかけ

新年あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願い致します。 皆様、お正月はいかがお過ごしでしょうか。 私は例年通りお節を作り、 https://www.instagram.com/p/DTDGxwKEjfj/ お客様をお招きし、また有り難いことに子供とも過ごすことが出来ました。 一方で、賑やかな中にもひとり内省の時間を持ち、これからの自分の進むべき道について思いを巡らせました。 それは、喜ぶこと。楽しむこと。 私はずっと、喜ぶこと、楽しむことを、主食ではなく、デザートかせいぜいおかずのように考えてきた気がします。 でも最近よく分かってきたことですが、喜ぶこと、楽しむことは、実は魂の主食なのです。 喜ばず、楽しまずして生きることが、どんなに魂をすり減らすことか。 「やるべきこと」中心に考え、「やりたいこと」を過ぎた贅沢と見做して遠ざけることが、いかに自分の魂を曇らせることか。 魂を輝かせることこそが最も大切な目標であるこの人生において。 「やりたいこと」と言っても、我意我欲によって恣(ほしいまま)にするという意味ではないのです。 実に些細なこと、繊細なことです。 例えばチェロの話をしました(3通目の手紙、4通目の手紙)。 「この音を出したい」というのが、この場合のそれです。 その音を出したって出さなくたって、誰も困りません。損しません。得もしません。 でも心の深い所で神は尋ねているのです。 「これがあなたのほしい音ですか?」 「これがあなたのしたいことですか?」 「これがあなたの辿りたい心の営みですか?」 と。 それを、ずっと深く考えてこなかったのです。 尋ねられていることに気付かずに生きてきたのです。 そして「この指はシである」という程度の認識の粗雑さで楽器を触ってきました。 その瞬間にも、神は尋ねています。 「あなたはそのシの音を出せることを、喜んでいますか?」 「喜ぼうとしていますか?」 「喜ぶことが大切だと気付いていますか?」 と。 神は何も語りかけてくれない、と私たちは思いがちです。 でもそうではないのです。 神はずっと質問責めです。 「本当に、それでいいですか? それでいいなら、その人生を与えましょう」 そして私たちはその人生を得ています。 神はこうして休むことなく私たちに問い続けているのです。 そして私たちは休むことなく、その問いに答え続けてい...

5通目の手紙(2025/12/30)個人的総括、人生の本質、来年の助言

先にお知らせです。 新年早々、1月3日(土)蟹座満月です。 ヒーリングで佳い一年の幕開けとしましょう。 最後にもう一つ、個人的なつまらないお知らせ・お願いをさせて頂きます。 今日は、来年の過ごし方のアドバイスもあります。 ・・・・・・・・・・・ 年内最後のお手紙です。 皆様は、ご自分にとってのこの一年をどう振り返られますか? 私にとっては「完成」の一年でした。 何をもってそう言うのかというと、自分の人生に網の目のように張り巡らされていたいくつもの伏線が回収されたとの実感が、あるからです。 その最たるものは、神のこと。 こんなに切実に真摯に(必死という意味ではないです)神と向き合い、神を愛し、神と一つになって生きるようになったことはありませんでした。 そしてこれは今後決して変わらない、根本的な生き方の変化だと認識しています。 半年前の自分でさえ、まさかこうなるとは予想していませんでした。 でも面白いことに、振り返ると、ここに至るべく様々な体験が幼少の頃から準備されていたことが分かるのです。 伏線回収は一種のカタルシスであり、ということは逆に、そうなる以前は、消化不良と保留と停滞、目的喪失の状態に留め置かれるということです。 そのような期間には必ず何らかの身体症状が出るものです。 人生の問題は、魂の問題だからです。 実は私は11年間もの長きにわたって肛門を患っていました。 症状は痒みなのですが、一番酷い頃には痒さのあまり歩くのも辛い、というほどでした。 それほどではない時期においても夜は痒みが増すので、患部を掻かずに過ごす夜は本当に11年間1日もなかったのです。 酷い時には掻きすぎて出血までしていました。 更にそれに先立つ5年ほどの間には、何の前触れもなく肛門に針が刺し込まれるような鋭い痛みが走ることが時々ありました。 「神の鈎針」と私は呼んでいましたが、これがまた恐ろしく痛くて、そのたびに飛び上がりました。 この痛みがやがて慢性的な痒みにとって代わり、11年… 治ったのです。 消えたのです。 私が本当に神を心から受け入れた、というか、神と共に生きるべく定められていた自分自身の人生を、本当に心から受け入れたからです。 「でも何も肛門をそんなにいじめなくても」とか 「いや、神様、他に教えようがあるでしょう」とか 「そもそもなぜ肛門?」とか、 色々な疑念が湧くと思います。 ...

四通目の手紙(2025/12/19)チェロ、人生の受容と謳歌、恩寵

先にお知らせです。 年内最後に瞑想会を開こうかと思っています。 オンラインです。 12/28、29の2日間のいずれかで。 ご参加希望される方はご連絡下さい。 参加費はお布施でお願いします。 明日20日(土)は射手座新月で、22日(月)はいよいよ冬至となります。 ヒーリング、コーチングその他諸々、心身を洗い清めて下さいませ。 ・・・・・・・・ 10年ほど前に、短い間でしたがヴァイオリンを弾いていました。 チェロには届かない音域に憧れる気持ちが強くなったからです。 チェロという下地があるので、ある程度弾けるようになるまでは早かったです。 しかしやがて飽きてしまってやめてしまい、かと言ってチェロに戻るでもなく、どちらも長らくケースの中にしまったままになっていました。 無い物ねだり、と言えばそれまでの話ですが、そこにはやはり秘められた願いがあったのだと思います。 そもそも、バッハの『無伴奏チェロ組曲』に惹かれて、チェロを始めたのでした。 19歳の時のことです。 でも弾いている内に、この音じゃない、という気がしてきました。 何だか、重くて、鈍くて、がさごそして… 自分みたいな音でした。 それでヴァイオリンに心が向かいました。 でもヴァイオリンもしっくり来ませんでした。 いま簡潔に振り返ると、私の心が欲していたのは「ヴァイオリンのようなチェロの音」だったのだと思います。 マトリョーシカのように、見た目はチェロなのだけれどその外形を取り払ってみると、精神の内側からヴァイオリンの響きがする、というような。 それは単に、音域の問題ではありませんでした。 喩えて言うならば、チェロは肥えた土、ヴァイオリンはガラス細工。 チェロが人生の受容であるならば、ヴァイオリンは人生の謳歌。 そのようなことです。 私は、変わりたかったのです。 それまでとは違う自分になりたかったのだと思います。 人生の受容も謳歌も、いずれかだけが正解な訳ではなく、そしてまた万人に共通する適正な配分などがあるわけでもなく、人それぞれ、そして人生のその時々において、この二つの極のいずれかに重心を傾けたり、あるいは両者を上手に混合させたり、または上手く行かずに混乱に苦しむ、ということがあるものです。 多分その頃、私は、チェロの響きのように、一歩退いた所から全体を観察し、必要とされる声のみを語る、ということから脱して、ヴァイオ...

三通目の手紙(2025/12/15)チェロ、415Hz、祈り

私の毎日は本当に変わりました。 日々、神に祈りを捧げて生きています。 こうなるとは思いませんでしたが、こうなるしかなかったと思えます。 ここに至るまでは長い道のりで紆余曲折がありましたが、辿り着いたこの場所は自分にとってとても正しいものだと思えます。 神に祈りを捧げる、ということの意味する所を、長らく私は理解していませんでした。 祈りにも色々あります。 私にとって祈りの本質は、神と共にあること、神に心を溶け込ませることです。 それをすると何か良いことがあるのか?と問われるかもしれません。 そうすること自体が、良いことなのだ、と私は答えます。 それは、以前の自分には、全然、良くも面白くも意義のあることとも思われないことでした。 最近、再び熱心にチェロを弾くようになりました。 バッハの『無伴奏チェロ組曲』は1番から6番まであります。 6番はアマチュアには手の届かない高難易度の作品で、私は、「アマチュアの自分はこんなものは出来なくていいのだ」という便利な言い訳で避け続けてきました。 しかし1ヶ月ほど前に、自分にはこれが出来る、というか、それまでよりも霊の力と同調できるようになった今の自分には、この作品を奏でるだけの霊力と繋がることが出来る、という思いが湧き、挑戦を始めました。 現在、順調です。 チェロはピアノやギターのように、音程の明確な境界線を持ちません。 ドの隣はド#ではなく、ちょっと高いド、それよりちょっと高いド、更にもうちょっと高いドが無限小で続いて、やっとド#に至りますが、それも一瞬のこと。そこからまた、ちょっと高いド#の領域が無限小で続きます。 1mmずれれば音程にそれだけの狂いが生じる難しい楽器です。 その1mm以下の感度を、全ての指に、全ての指板上の地点において正しく働かせることが出来るよう訓練しなければいけません。 これは途方もないことだと思われます。 しかし鳥は遠くから餌めがけて飛んできます。 一瞬の内に飛んできて、狂いなく、その小さな嘴の先に対象を捉えます。 彼らは一体何をしているのでしょうか? 古代ギリシャ語の「プネウマ」つまり命の息吹の働きにすっかり身を任せ、一体になっているのです。 この同じ能力を人間が持たないはずがありません。 達人の技というのは要するにそういうことだと思います。 自らのコントロールの先に、自らを明け渡すということがあり、その...

二通目の手紙(2025/12/08)「おとうちゃんだいすきだよ」

先にお知らせです。 絵画展ですが、12月12日から「年内」に会期を変更しました。 絵を並べてみた所、日常の生活と仕事に差し支えないと思われたため。 是非足をお運び頂けましたら幸いです。 絵を眺めつつ、珈琲でも飲みながらのんびりお話しましょう。 会場:東京都狛江市中和泉2−7−5 ご来訪の際は事前にご連絡をお願いします。 ・・・・・・・ ブログの名称が「手紙」になりました。 自分とは何か? 自分に出来ることは何か? と考える時、仕事が真っ先に頭に浮かびます。 しかし、それはどこまでも自分の一部。 たとえ大きな部分を占めるとしても、やはり一部に過ぎないものです。 もっと奥深い所からこんこんと湧いてくる無垢の思いを言葉にして、ヒーラーという肩書からも離れて、一人の人間として皆様にお届けしたいとの気持ちから「手紙」と改めました。 またThreadsの使い勝手の良さも経験した上で、こうしてより静かな場から皆様に語りかけることの大切さも改めて学びました。 そういうわけです。 これからもよろしくお願いします。 ・・・・・・・・ 先日、息子の、保育園最後の発表会がありました。 一昨年は舞台端に身を置いて、参加しようとしなかったまどか。 去年は参加はしたけれど、皆と一緒に歌うことは拒んだまどか。 その彼が、今年はしっかりと役をこなして、大きな声で皆と一緒に歌っていました。 終わるや否や「ああ、ほんとにいやだった」と言う辺りは、幼い頃の私にそっくりでしたが。 ともあれこうしてガタガタと音を立てながらもトロッコはちゃんと前に進んでいきます。 繰り返す話になりますが、生後三ヶ月で発症した重度の乳児湿疹から別居が始まり、二歳の頃に離婚に至り、四歳になる前には三ヶ月ほど会わない時期もありました。 こうしたことを「事故」とは思いません。 それは魂の約束、魂の計画として生じた出来事でした。 ただし、その全貌がその時ごとに明示されることはなかったのでした。 天使の声がはっきりと聞こえるならば、あの時、天使はこう語ったことでしょう。 「あなたたちはこれから離婚します。そうすることが、あなたにとって、彼女にとって、子供にとって有益なことだからです。しかしあなたは何も失いません。何も奪われもしません。子供とは毎週会えます。別れた奥さんとは本当の意味で互いに尊重し合える関係になれます。 一人で暮らすようにな...