最近の読書生活

最近、あまり本を読まなくなった。

この3年ほどは破竹の勢いで本を読み続け、ある年は年間150冊も読んでいた。
学んでこなかった生理学/整体分野、食わず嫌いだった自己啓発系、知ったつもりになっていた霊的方面(変なのも含む)、勉強不足だった歴史学、生物学、ずっと手を付けずにいた古典などなど…。
遅れを取り戻すように、よく読んだ。
一人暮らしになったことで回帰した、15年ほどぶりになる「毎日読書する」という日々だった。

それが冬の始め頃、にわかに「もういいか」という気持ちになった。
勿論、知らないことは無限にある。
しかし知らないことを減らしていけば良い訳ではないし、それより何より最近の私は、静けさを感じ、保ち、静けさの中で生きることに喜びを見出すようになっている。
『老子』に「学を断てば憂い無し」という一節があるが、ようやくその深く意味する所が分かってきた。

学ぶと得るものも沢山あるが、それと引き換えに心の海の水面に引き上げられてしまいがちである。
例えば特に時事問題。
一方の心の海の底近くには何があるのかというと、感じる、味わう、ということがある。

両者はなかなか両立しがたい。
過去を振り返ると、必要な知識というのは目を背けていてさえ自然と目に飛び込んできて、心に染み込んできた。
それは今もそうだし、これからもきっとそうだ。
わざわざ自分から得に行く必要はないのだろう。

今はきっと壺の中にすべての材料が投入され、撹拌を終え、蓋をして醸造・発酵を待っている人生の時。
パンを捏ねる者として先刻承知のはずのこと。
こんな時、余計なことをしてはいけない。
じっと膨らみを待つことだ。
昔は気忙しくて出来なかったことだが、今はそれが楽しく味わい深い。
ゆっくりと、気が向くと『赤毛のアン』を読んだり『万葉集』を読んだり(つまり「役に立たないもの」)…
こういう時の過ごし方が味わい深い。

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