全体性と、病気

気になる所が気になるのは当たり前だが、気にすべき所はそこではない、ということがある。
Aさんのお父様が前立腺癌を患われたとのことで、ヒーリングをお願いされた。
しかし私の遠隔視では前立腺の問題は全く見えず、全身の気の歪みの方が気になった。
前立腺に異常なし、と言うのではなく、それ以前に、といった所である。
それも通常の範囲の、背骨を中心軸とする諸々の不均衡というレベルではなく、全身が怪電波を発しているような印象なのだ。
これでは治るものも治らない。
むしろ他の箇所も二次的付随的に病んでいくことだろう。
そうお伝えしたのは術後のこと。

「河邊さんのヒーリングとお見立ては、何度体験しても、驚かされます。
まさに今朝、母から父の様子を電話で聞いていたところでした。
ホルモン治療をかなり強めにやっているらしく、更年期障害のような発汗が、頻発しているとのことでした。だるさもあるようです。」

何事も、全体で成り立っている。
一箇所だけを注視する時、しばしば全体への視座を見落としている。
前立腺さえ良くなれば、という一心で、全身に損害を与えてしまう。
こういうことを西洋医学の医療従事者に言っても仕方がない。
患者になる立場の私たち自身が、このことを理解していないといけない。
箇所を見るのではなく、全体を感じなければならない、と。

また別件。
Hさんのお母様は肺癌を患われており、そのことで長らくヒーリングをさせて頂いている。
御本人の苦しみは御本人にしか分からない。
他人がとやかく言うのは本当は節度を超えている。
ただやはりここでもあえて同じ助言を差し上げたいと思う。
痛い、苦しい、という事実は確かに動かないものとしてありますが、それ以外の所に積極的に目を向けられるように、と。
痛い、苦しいことがあると、自然と自分の関心の大半がそこに向けられてしまうけれど、冷静にこれを評価すれば、そうすることによって不安や苦痛が増大することはあっても、良い影響は一切ないのです。
病中にある今、自分に良い影響を与えることが最重要であるはずで、悪い影響は悪い結果をもたらすだけです。
そして良い影響を与えることができるのは自分自身以外にありません。
自分に対してどうしたら良い作用を与えることができるだろうと考え、それを実行していくことこそが大事なことなので、病に苦しむ方々は、是非そのような取り組みをして頂きたいと思います。

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