プラス思考ではなく、「プラス感覚」で
痛み苦しみ以外に目を向ける、というと、要するにプラス思考ということだろうか、と思われるかもしれない。
それもそうなのだが、プラス思考だけではない。
というか、どちらかというと、私はプラス思考はあまり好きではない。
無理があるからだ。
思考によってではなく、感覚によって、心を導いていくのが良いと思う。
例えば先日の真呼吸会ではこうお話した。
呼吸を感じるといってもそのことに過度に集中するのではなく、風にそよぐ木の影を見る、鳥の声を聞く、などする、そうすると自然と呼吸が穏やかに深くなるでしょう、と。
皆様の反応は良かった。
普段、私たちは感覚を専ら受動的に使っている。
「鳥の声?ああ、鳴いていますね」というようなことだ。
しかし感覚を能動的に用いる時、意識に変化が起きる。
自ら感じに行くことが大切なのだ。
痛みや苦しみは、好ましくないものだ。
それは強い力で私たちの心を引きずり込み、視界を固定し、見える全てを暗転させてしまう。
だからこそ、反対側に意識を向けていく必要があり、そのために、私たちは感覚を用いるという選択肢を持っている。
この試みは、プラス思考よりはるかに自然体で出来、またプラス思考のように息切れすることもない。
感じる、味わう、楽しむ…といったことは、想像を超えた好影響を及ぼすのです。
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