バイキンマンについて考える 1
子供が来ると、機関車トーマスかアンパンマンを一緒に観る。
機関車トーマスについては、ちょっと微妙だなと思う所がある。
それは有用性を強調しすぎること点である。
「役に立つ機関車であることを証明しなければいけない」
「役に立たない機関車はスクラップにされてしまう」
というような台詞が頻発する。
お国柄もあると思うが、どんなものだろうこれはと思う。
子供には、「役に立とうと立つまいと」ということを教えてやりたいものだと思う。
一方、アンパンマンは素晴らしいと思う。
特にバイキンマンが秀逸である。
バイキンマンはいつも悪さをする。
そしてアンパンマンにお仕置きされる。
しかし彼は凝りずにまたやってくる。
アンパンマンは悪を根絶しようとはしない。
アンパンマンの村(?)の皆の衆もまた、バイキンマンを懲罰または追放しようとはしない。
バイキンマンの悪口さえ言わない。
言葉でこそ語られないが、バイキンマンがいることを皆が許容しているのだ。
(改めて大人の目で見ると、バイキンマンはかなり本気で殺しにかかってくるので呆れるのだが…)
まどかは言う。「どうしてバイキンマンはいつもいたずらしにくるのかな」
私は答える。「本当はアンパンマンたちと一緒に遊びたいんじゃないかな」
「きっとそうだね」とまどかは言う。
機関車トーマスの方にも悪いのがいる。
これがまたいかにも人相が悪く、邪悪な精神を宿している。
まどかは言う。「どうして〈いたずら貨車〉はいつもいたずらするのかな」
私は答える。「あれは性格が悪いんだ」
全然弁護する気にならない。
バイキンマンには愛嬌がある。
まどかもバイキンマンが好きである。
悪いやつなのに、憎めない。
こういうキャラクターの存在そのものに、陳腐なスローガンでは絶対に語ることの出来ない、本当の深い優しさを感じるので、バイキンマンの悪行から目が離せない。
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