「好き」センサー

自分の好みというのは、意外なほど自分でもよく分かっていない。
最近『名将言行録』という、戦国武将の伝記集を再読していたのだが、これが面白くて読み耽っていた。
特に戦国時代が好きという訳でもないのだが、何やら心惹かれるものがある。
何なのだろう、この感じは、と考えると、どうやら自分は、物知りのおじさんから含蓄ある昔話を聞くのが好きらしい。
それで、「へえ、なるほどなあ」と思う、どうもあの感じが好きなようだ。
自分のことなのに「好きなようだ」と感じてしまうほど、ぼんやりしている。

知識コンプレックスがあるので、色々なことを知っていた方が良いかと思い、苦手な分野にも手を出して学ぼうと思うのだけれど、やっぱり向いていないものは頭に入らない。
それ以前に、読んでいても楽しくない。
この点が、重要だ。
興味関心の性向というものは基本的に定まったものだから、「好みの話題」以外はどんなに頑張ってもなかなかその距離は縮まらないものである。
結局、開き直って「好き」をとことんやっていくことかな、と思う。
それと並行して、「好き」センサーを高めていく。
というか、自然と「好き」センサーが高まっていく。

最近よく言及する「役に立つ/立たない」という話でもあるのだが、「知っておくと役に立つだろう」というような知識獲得にはやはり下心がある。
実際、役に立つかもしれないが、心を耕してくれるかどうかは別である。
この「心を耕してくれる」ということが、何事につけても大切だと思われる。

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