首の凝り、血流、「こうあるべき」の考え方
私はかなり肩が凝っている方なのだが、以前はもっと凝っていた。
肩をぎゅっと上げて、回すと、ぶちぶちぶちっと音がした。
入眠時には肩凝りがことさら主張してくる。
この感覚は言葉で表せないほど気持ち悪い。
凝りの起きている箇所では血流が渋滞しているという。
目眩と肩凝りが無関係でないと前回の記事で述べたのは、その辺の話である。
というのも肩だけ凝って首が凝っていないということはまずない。
首の血流事情は
①ただでさえ通り道が細い上に
②重たい頭部を支えるためにいつも力が入っており、
③更にその頭部は多量の血液を必要とし、
④おまけに重力に逆らって上昇する
というわけで、非常に渋滞しやすいものとなっている。
脳に充分に血が回らなければ目眩もする。
(他にも理由があるかもしれないことは、忘れてはいけないが)
それでどうして首肩の凝りを「根本的に」改善するか、という話なのだが、究極的には物の考え方や感じ方を変えていかないといけない。
というのは、肩の凝るような、首の凝るような考え方をしているから肩や首が凝っているからである。
それは色々あると思うが「こうであるべきだ」というような考え方かと思う。
ただ、そう言っても「私は別にないけどな」と思う人も多いかもしれない。
そんな場合には、他人に向ける目に、この〈成分〉がないか、観察してみると良い。
例えば「ちっ、何だよ、あいつ」と思う、「ああいう人ってさ」と思う、「ああいうことはけしからん」と思う、そのような時、判断の基準に必ず「こうであるべきだ」という正解、正当がある。
自分に対しては特に禁止をしているつもりがない人も、もし他人や社会に対して怒りや不満や軽蔑が多いとしたら、「こうであるべきだ」の考えが、自分の精神構造で支配的な働きをしていることになる。
同じ目は、自分にも必ず向いている。
ただ、慣れているので気付いていないだけなのだ。
こういうことが究極的に、肩や首の凝りの原因になっている。
見方を変えると、肩凝りや首の凝りは、「凝ってまっせ、その考え」ということを私たちに教えてくれている。
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