和歌2

和歌に触れることは骨董趣味ではなく、今も昔も変わらない人の心を確認すること――と、何となく私は思っている。
細川幽斎の歌にもこうある。
・古も今も変わらぬ世の中に 心の種を残す言の葉

ま、こういう流行だったのかな、と思うような歌も多い中、時々、胸にぐさっと来る歌がある。
心にしっとり染みてくる歌もある。

山上憶良(おくら)は子供が大好きだった。

・銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに 優れる宝 子にしかめやも

(金銀財宝? そんなものより子供こそ一番尊い)

子煩悩だったようで、宴会から帰る時にはこんな歌を残している。

・憶良らは今はまからむ子待つらむ それその母も我を待つらむぞ
(憶良はそろそろ帰ります。子供が待っているので。妻も待っておりますから)

家に向かう時の彼の面持ちが、何となく見えるようではないか。
その憶良が、子供に死なれて嘆く歌、

・若ければ道行き知らじ賂(まひ)はせむ したへの使ひ負ひて通らせ
(幼い子なのであの世で道に迷うでしょう。黄泉の方よ、謝礼はしますからおぶってあげて下さい)

私たちはだいたい口では、「今も昔も人は変わらない」と言ったりする。
しかしその一方で、当然のように「現代こそが標準である」と考えている。
そのせいで時々びっくりする。
今日とか昨日詠まれたのではないのかこれは、というような歌に遭遇すると、毎度のように目を開かされる。

放っておくと、自分の境遇、自分の悩み、自分の問題こそ、世界の中心のように考え違いを起こしてしまう。
そんな時、自分を戒めるよりも他人からたしなめられるよりも、先人の詠んだ歌が、より深く知るべきことを伝えてくれる。
人間って、そういうものだよ――と。

こんな体験が出来るので、いつも心の片隅に和歌専用のスペースを取っておきたくなる。

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