インナーチャイルド

良い所を見せようとして、まどかが押し入れから落ちた。
その時の様子が面白かった。
「おててがいたくてうごかないよ。おててのほねがおれた」
ぽろぽろと涙を零しながら言う。
どこで覚えたのか、気の毒に思いながらも笑ってしまった。

こういう時は宥めるよりも気分を変えてしまった方が良い。
取っておきの秘技を繰り出すと、すぐに楽しく笑い始めた。
もちろん、骨は折れていなかった。
それにしても、痛みや苦しみを感じた時、心は何と速やかに赤ちゃん返りすることだろう。
「こんなかわいそうなぼくをみて?」という声音が、滲んでいた。

苦しみに直面した時、大人の私たちもまた、やっぱり子供返りしそうになる。
「できないよお、くるしいよお」と心は言い始める。
大人はそれを諭すことが出来る。
心の中の大人が育っていると、「泣いても仕方ないのだから。ほら、前を向こう」と言える。
または私がまどかにしたみたいに、注意を他に向けさせることが出来る。
「大丈夫大丈夫。それより楽しいことをしよう」と。

考えてみると、そういうふうになるために、何年も十何年も過ごしている気がする。
以前の私は、内なる子供が泣き始めると、それに簡単に支配されてしまった。
インナーチャイルドについては、普通、認識して抱き締めてやるべき、と言われる。
私自身、そういうことはとても大事だと考えている。
しかし何事も匙加減で、問題を必要以上に深くしないという態度も、やっぱり大切だと考える。
子供が「ほねがおれた」と言っても、本当に折れている訳ではない。
子供=インナーチャイルドの痛みを〈軽視する〉という意味ではなく、〈軽くしてやる〉こともまた、大人にしか出来ないことであろう。

コメント

麻子 さんの投稿…
「以前の私は、内なる子供が泣き始めると、それに簡単に支配されてしまった。」

とーってもわかります!

それが、ある程度の時期が来ると、「いや、ちょっとそれはそれとして、今は抱きしめて止まるのではなくて、動いておこう」、となってきました。

疲れや体調不良の時もそうで、「疲れているから山登りするのをやめておこう」となっていたのが、最近では(特に時間に自由がきかなくなったこともあり)「今週末行けないと、逆に体に悪いわ、ちょっと〝無理にでも”という圧を自分にかけて、行ってしまおう」となり、結果、元気になって下山することが多くなりました。

この匙加減とタイミングを、見極めるのはコツがいるし、インナーチャイルドの癒され度合いによって人それぞれだと思います。

そんな変化を感じ取りながら過ごすのは楽しいなと思いながら、日々過ごせるようになってきました。
いつもありがとうございます。
カワベマサノリ さんの投稿…
麻子さん、コメントありがとうございます。

>ちょっと〝無理にでも”という圧を自分にかけて
着々とこしき道を身に付けていらっしゃいますね。
インナーチャイルドの問題も本当に段階的に進んでいくので、どう関わりどう解釈していくかは人それぞれ、時それぞれですね。
問題をあまり大きくせず、主体的能動的に関わっていけるようになったのはとても大きな達成だと思います。

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