体の苦難から学ぶ#6
体が困難の状況にあることに関して、持つべき「正しい心」とは何だろう。
一つは、昨日もお話したように、目的に意識を向けることだ。
原因を見ているだけでは後悔しかない。
目的を見ればそこに希望と責務を見出すことが出来る。
後悔に満ちた心のままで病気を治せる、平安を得られるなどと思ってはいけない。
意識を良い方向に向けなければ、良い未来は決して来ない。
第二は、反省と学びに関してだが、具体的に一体何をどう反省し、何をどう直していくつもりなのか、そして今日もそれを確かに試みたか、ということが大事である。
誰だって、病気になったり挫折したり失敗したりすれば反省する。
しかしそこまでなら誰でも出来る。
自分を責めればいいだけだからだ。
凄く意地悪い言い方に聞こえるかもしれないが、「反省しています」と言う時、多くの人は自己憐憫をしているに過ぎない。
本当に反省したなら必ず今日から悪癖を直せるはずだが「反省しています」と口で言うだけで具体的な努力をしない人は、何年経っても同じことを反省している。
これは本当の意味では反省していない。
必要なのは反省ごっこではなく、厳しく的を絞ることなのだ。
・自分の何がいけなかったのか?
・自分はなぜそうしてしまったのか/しなかったのか?
・自分はそれがいけないということに気付かなかったのか? なぜ?
・または気付いていたのに直さなかったのか? なぜ?
・その悪癖は今なおどのような場面で出てくるのか?
・どうやって改めるつもりのか?
・どうやって改まったことを確認するつもりなのか?
こういうことを本当に厳密に考えないといけない。
自力では分からないなら私がお手伝いするので、やってみよう。
反省であれ何であれ、漠然としたものには力は宿らない。
無意識の漠然とした認識は、意識化/言語化されることに明晰さを獲得し、現実を動かす力となる。
「何がいけないんだろう/何かがいけなかったんだ」を「これがいけなかったんだ」に結晶化させることが出来れば、それを起点に現実が動き出す。
Zさんの場合、癌の悪化を抑制したり、共存を可能にするという結果が得られるだろう。
明日は、持つべき「正しい心」の3つ目をお話する。
今日もお読み下さりありがとうございました。
【スケジュール】
4月28日(日)真呼吸会はお休みします
4月29日(月)10:00―11:00瞑想会(1000円)
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