カフェにて2
カフェで、隣に座った女性に求められるまま、お話をした。
要約すると以下の二つである。
1.「神と死を考えて生きれば自ずと道は見えます」
2.「自分という存在もまた自然の造化です。それを固定観念によって捻じ曲げようとしてはいけません」
今日は1.についてお話しよう。
その方は、人生、生活、自分の選択や在り方について、迷いを持たれていた。
まず私は西郷隆盛の言葉を引いた。
「人を相手にせず天を相手にせよ」
私たちが人間相手に悩む時、人間しか見ていない。
人間以上のことが見えていない。
この「人間以上のこと」を、神と言う。
私の考えでは、宗教心の欠如が現代の諸問題の中核にある。
人間だけを相手にしている限り、打算的な利害の発想が幅を利かせるようになる。
例えば相手を喜ばせようとする。
一見、聞こえの良いこの行為も、人間しか見ていないのであれば、善悪どちらにも触れる。
心から、利他の精神で相手を喜ばせること。
相手におもねり、おべんちゃらを言って喜ばせること。
この二つを、私たちはそれほど明確に区別できているわけではない。
だから私たちは迷うし、人間関係に疲れるのだ。
そうではなく、神を見る。
「この行為は神の前に恥ずかしくないのか」と自問した時、相手がどうだとか相手に何と言われるかという迷いはなくなる。
人生観の中心に神を置かない限り、私たちは相手次第でどうとでも動くあやふやな存在になってしまう。
もう一つ、私は明治天皇御製の
「目に見えぬ神に向かひて恥ぢざるは人の心のまことなりけり」
も挙げておきたいと思う。
更にもう一つ考えるべきことは死である。
生に迷うのは、死に思いを馳せていないからだ。
この話もまた一記事費やすに値するので、明日に譲ろうと思う。
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