カフェにて3
カフェでお話した
1.「神と死を考えて生きれば自ずと道は見えます」
2.「自分という存在もまた自然の造化です。それを固定観念によって捻じ曲げようとしてはいけません」
上記1.の内、神について、まず昨日お話した。
今日は「死」について。
その方は主婦で、他の主婦たちのように、自分もまた、自分の収入源を持たないといけないのではないかと考えていた。
そのことが、悩み事の種だったようだ。
私は言った。
「今日か明日、死ぬとします。
人生を振り返って『ああ、私も他の主婦たちと同じように自分で稼いだ。満足だ』、こんなことが人生を評価する基準になると思いますか?」
「いや、まさかならないです」
「そうでしょう。そんなことはどうでも良いことなのです。人生の価値は、自分が自分らしく生きたか、そのことに満足したかということだけです」
皆様もいつか死にます。
その時のことに今の内から備えて下さい。
最近、引いた古代ローマの哲学者セネカの言葉をもう一度紹介すると、
「生きることをやめる土壇場になって生きることを始めるのでは時既に遅し」
彼はまたこうも書いている。
「生きる事は生涯をかけて学ぶべきことである。そしておそらくそれ以上に、不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである」
死を真面目に考え、備えれば、生が輝き始める。
毎日とは言わないが、時々、神と死について大真面目に考え直すと良いと思う。
例えばこのような記事を読んだ時に。
考えてみよう。
あなたは近日中に死ぬ。
振り返ってこの人生は満足か?
満足でないのなら、それはなぜ?
そして満足に至るために、
今日から具体的に何をどうする?
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