カフェにて4
カフェで話たこと。
1.「神と死を考えて生きれば自ずと道は見えます」
2.「自分という存在もまた自然の造化です。それを固定観念によって捻じ曲げようとしてはいけません」
2.についてお話しよう。
多くの人は気付いていないが、あなたという存在もまた、自然の産物なのである。
人間はどうも自惚れが過ぎる生き物のようで、人間は自然の産物ではないと考える癖がある。
自分は野の花や鳥や獣とは違う何者かだと思いこんでいる。
実際にはそんな訳があるはずはない。
私たちは自然が生み出したものなのだ。
どんなに歪で、狂っていても、「人工」などではあり得ない。
自然の産物であり、結晶なのだ。
人間はまた自然を捻じ曲げるのが大好きだから、着色料を使ってカラフルな薔薇を作ることすら喜ぶが、大自然はそんなものを喜ばない。
同じことを、私たちは自分自身の心に対してもしている。
「こういうふうに生まれついている」のに、こうではない他の自分になろうとする。
それを成長願望や達成や成功と思い違えているが、神が与えてくれたものに難癖をつけているに過ぎない。
何を根拠に?
人との比較によって、だ。
SNSや芸能ニュースを見て、「いいなあ、あの人は、あんなふうで」などと言って、「こんな自分」を嫌う。
あなたがあなたのようであることは、ある種の生命がその生命であるのと同じように、自明のこと、覆せないことなのだ。
その性質を受け入れ、活かすことこそが成長なのであって、その性質を拒否し、「皆と同じよになろう」とすることは、成長ではなく自己否定でしかない。
「商品価値のある花を人工交配してやろう」ではなくて、「どんなふうにこの薔薇が咲くだろうか」ということを、じっと観察していればよいのだ。
せっかくの生命の神秘を無視して、この薔薇を水色とか銀色に染めたら楽しいかな、なんてことを考えるのは良くない。
そういう考えは悪趣味だ。
自分という薔薇は広い世界を見渡してもこの一輪しかないのだ。
大切にしよう。
大切にすれば、薔薇はちゃんと花を開いて、私たちに良いものを見せてくれる。
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