迷惑について 1
「人に迷惑をかけないように」と考えることは一見良いことに思えますが、人間関係の中心に「迷惑」が置かれているということは、望ましいことではありません。
迷惑をかけないようにしているつもりなのに、迷惑を結果的にかけている…ということになりかねません。
実際、そうなっているでしょう。
結局、人は誰もが迷惑をかけあっており、その意味でそんなに深刻に考え込むことではないのです。
そんなことよりも…という話です。
「迷惑」を軸にしている限り、人間関係は消極的になります。
人間関係は創造的、生産的であるべきだと思います。
なぜならそうなれる可能性があるのですから。
このことをどうしたら受け入れることが出来るのか?
先日私がある方にお話したのは以下のようなことです。
「そもそも自己卑下があるからこそ、迷惑をかけないように、という発想が生まれてきます。
神様を想像して下さい。
輝かしいものでしょう。
そんな輝かしいものから生まれた(これに関しては「造られた」でも「派生した」でもお好きなように)あなたが、輝かしくないわけがないでしょう。
輝かしい存在は関わる人を明るく照らすのが本来自然なのだということに気付いて下さい。
あなたはあなたのことを「そんな自分ではない」と言いますが、それは謙遜ではなく、神の作品/産物に対する冒涜だということに気付きましょう」
消極的、否定的な発想というものは、基本的に、自分中心の考え方から生まれてきます。
だから守りに入ってしまうのです。
しかしその姿勢でこれまで満足の行く人生が送れてきたでしょうか?
多分そうではないでしょう。
ということは、その考え方は間違っているということなのです。
「相手のために」の考え方をすれば、あなたが自分の殻の中にこもっているより、殻の外に出ていった方が、相手の得になるということが分かると思います。
その話を明日します。
コメント
大きな転換点になったとのことで、とても嬉しいです。
どう変わっていくか、楽しみです。