迷惑について 3
人生は人格の成長のためにあり、人格の成長には段階があります。
それを客観的な尺度で語るのは失礼であることを承知の上で、今は話を簡便にするためにご了承下さい。
「迷惑」軸のレベルにいる人は、結局、努力してもしなくても迷惑をかけたりかけられたりします。
それは1.でお話したように、迷惑が人間関係の中心軸になっているので、必然的にそうならざるを得ないという理屈です。
このレベルにおいて、選択肢Aを取ろうとBを取ろうと、いつも同じ結果に至ります。
心当たりのある人は振り返って下さい。
AさんとBさんのどちらの顔も立てないといけなくて、迷いに迷って、どちらかを取り、しかし結局悪い結果に至る。
選択を間違えたのかなと多くの人は反省しますが、そうではありません。
いるべきレベルをそもそも間違えているのです。
私はこのレベルに属する質問を受ける時にはいつも「どっちを取っても同じ」と言っています。
薄情に聞こえるかもしれませんが、どちらの選択肢を取るかということは小手先のことであって、その二択が生じるという現実自体が問題なのです。
このことをもって「人生は難しい」と嘆く人がいますが、それは私が言う「人生は難しい」というのとは全然レベルの違う話で、単に自分で難しくしてしまっているだけです。
根本的な解決は、次のレベルに進むことです。
次のレベルとは何か?
それは「迷惑」が問題にならないレベルです。
「いいなあ、そんな人生になったら」じゃなくて、今からなれるのです。
その話を明日します。
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