いつかは受け入れなくてはならないこと2
死が視野に収まってきた時、私たちがどのように反応するかということについては、エリザベス・キューブラー・ロスの御説(『死ぬ瞬間』他)をお読みになることをお勧めします。
簡単に言うと、私たちは、自分に訪れる死をまず拒み、やがて受け入れることになります。
どうやら心はそういう軌跡を辿るものであるようなのです。
結論としては、死は、死ぬまでに受け入れることが望ましいものです。
死を目前にして、一日も長く、と考えることは、勿論、気持ちとしては分かりますが、来るべきものを拒否する姿勢であり、それはまた「今この時」にしか味わえないものを、みすみす取り逃す態度でもあります。
遅かれ早かれそろそろお別れなのだ、と認めることで、本当に深い所から初めて、これまで共に過ごした時間や、相手が親である場合には、産んで育ててくれたことへの感謝が湧いてくることと思います。
それは私たちが為し得るコミュニケーションの最も深い形のものであり、私たちはそれを体験するために生まれてきたようなものなのです。
愛や感謝の種はいつもそこかしこにあるのに、私たちは平素、何十年生きてもそれについて真面目に語り合うことがありませんでした。
「生きていてくれてありがとう」
「あなたと一緒に過ごせて嬉しかった」
私たちは生きている内に伝え合うべきだと思います。
一日も長い生を望む限り、目線はいつも「明日」に固定されていて、「今」の大切さに気付くことがありません。
私たちは夕暮れにこそ、陽の光を惜しむものです。
そしてじっくりと沈みゆく夕日を見つめるものです。
その時、心は「今」の中だけにあります。
日の出を除いて、夕暮れまでの間、私たちはこれほどまでに愛おしむように太陽を見ることはないでしょう。
これは人生にも当てはまることです。
私たち人間が生まれる時と死ぬ時、この同じ感情が私たちの心を染めています。
死は忌むべきものでも先送りすべきものでもありません。
そこに心の交流の美しさを見出だせば、受け入れられるものになると思います。
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