いつかは受け入れなくてはならないこと3
Aさんは「死に向かわないように」と仰いましたが、逆に私は「どうぞ死に向かって下さい」と言いたいと思います。
断っておきますが、その上で、そのお心によって更に長く生きられるということもあります。
もしかしたら逆に、その態度こそが更なる長寿や軌跡のような回復を可能にすることも、決して無くはないとさえ思います。
しかしそれは結果の話です。
どうなるかは誰にも分かりません。
ですからそういうことは脇に置いて、ご本人もご家族も、人生を振り返ってみてほしいと思うのです。
人生に満足しましたか?
楽しかったですか?
人生に感謝していますか?
満足でない場合、今からでも遅くありませんから、満足に変えてみて下さい。
人生の出来事にはすべて表と裏があります。
良いことと悪いこと、苦難と達成、挫折と学びはいつも表裏一体です。
見所を変えれば、「あれだけは一生の後悔だった」というようなことも「いや、あれがあったからこそ」に変わります。
必ず誰もが、自分の人生に大満足できる視点を心の中に発見できると思います。
これが人生の最後の時期にふさわしい身支度なのです。
またご家族は、死に近い人と過ごした時間や受けた愛情を数え上げて、それをお伝えになることをお勧めします。
あえての発言ですからご容赦願いたいですが、お亡くなりになった後で感謝と親愛の情に襲われて号泣しても仕方がないのですから。
生きている間にそれをしないから、お亡くなりになった後でようやく気付くのです。
なぜそれをしなかったのかと言ったら、死を拒んだから、「まだ来ない、まだ来ない」と先送りしたでしょう。
死を拒んだから、最後の時の過ごし方が分からなかったのです。
「いつでもどうぞ」と思って生きて下さい。
そうすれば心に悔いはなくなります。
医療の発展により、死が私たちから遠くなった結果、私たちは死を敗北と結びつけてしまうようになりました。
しかしそれは間違った考えです。
死を拒めば死から何も学べません。
死から何も学べないということは、生を本当の意味で謳歌できないということです。
しかしこうした理屈を一人ひとりは承知の上でも、ご家族で考えや思いを共有できるということはとても稀なことです。
その点、Aさんのご家族は恵まれていると思いますし、だからこそ、この大切な時期を濃く美しく過ごして頂きたいと願っています。
その上で、お母様の命が一日も長くこの世で楽しい思い出を作られることを祈っています。
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