いつかは受け入れなくてはならないこと4
このお話はこれでおしまいです。
皆様を重い気持ちに沈み込ませてしまったなら謝ります。
今日もお読み下さりありがとうございました。
まだ死が遠くにある方も、昨日私が投げかけた問いに、今日死ぬと思って答えてみて下さい。
人生に満足しましたか?
楽しかったですか?
人生に感謝していますか?
悔いのないようにしましょう。
いつかは答えなければならない問いです。
自分が満足できず、楽しめず、感謝できない理由を、くれぐれも他人や環境のせいにしませぬよう。
世の中には、死ぬまでにやりたいことを10個とか100個並べてそれを制覇していくような人たちがいます。
人の生き方ですから結構ですが、そういうのは私の意見では少し表層的な考えなのではないかと思われます。
勿論、やりたいことをやるのがいけないと言いたいわけではないのですし、私もやりたいことはやりたいですが、それでも「何をしたら満足だ」という発想でいる限り、「何をしなかったから不満だ」が必ず後に残ります。
条件付きの満足は良くありません。
外ではなく、内にこそ、見るべきものがあります。
「あれもこれもしたから人生に満足だ。人生に感謝している」というのは、たまたまその人が、あれもこれも出来る健康やお金や諸条件に恵まれていたからに過ぎません。
ではあれもこれもできなかったら、この人は人生に満足し、感謝できるでしょうか。
私の好きなアメリカ先住民の格言はこう言っています。
「感謝する理由が見つからなければ、落ち度はあなた自身にある」
昨日の記事で「自分の人生に大満足できる視点を心の中に発見できる」と言いました。
満足するまで何かをするのではなく、満足するまで心というミラーボールをくるくると回してみて下さい。
すると必ず人生に満足し、人生に感謝することが出来るようになります。
断っておくと、それでその後の一生が様変わりするわけではありません。
相変わらず、嫌なことはあり、憂鬱や不満に駆られ、何のために生きているのか分からなくなります。
それで良いのです。
それが普通です。
ただそんな時にも「まあ、今はそういう時期だ。ちょっと調子が落ちているのは分かっている。そのうちまたちゃんと満足と感謝を取り戻せる」と考える余裕を持つことが出来るでしょう。
心に変化を起こすためにはとにかく時間が必要なのです。
しかしその出発点は、死を真面目に考えることです。
変わろうと努力しない限り、いま不満のある人は、死ぬ時も不満があるはずです。
そうでしょう?
何だかんだ言っても、死ぬ時に「ああ、満足した」と思いたいでしょう。
その準備を、今日から始めるとしましょう。
今日もお読み下さりありがとうございました。
【スケジュール】
6月6日(木)双子座新月ヒーリング
6月21日(金)夏至ヒーリング
コメント
なんと美しい文章でしょう。
なにかを達成しても、相変わらず嫌なことはあり、
感動しても、憂鬱は訪れ、
辛くても、人から感謝されたり、
疲れても、楽しかった感覚が残っていたり、
ちょっとチャレンジしてみたくなったり、挫折したり。
それが生きているということで、
少しでもより良い人間であるにはどうしたらいいのか、
手探りで日々彷徨いながら時間を刻んでいくということが、
生きるということなのかなと、最近思うようになりました。
自分の見ている世界の視野の狭さを気づき、
自分の無知さを知り、
それを嘆くのではなく、
生きる体験を重ねていこうと思います。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
はい、まさにその通りなのです。
人生は確かにどこかに向かっていますが、一面的に「幸せになる」ことが目標なのではなく、幸せも不幸せも等分に味わうことこそが、人生の意義だと思います。
それはモーツァルトの音楽の中で長調と短調が必ず入れ替わりながら出現し、音楽そのものを豊かにしていくことに似ています。長調だけの音楽では深く潜っていけないからこそ、短調があるのだと思います。