ひとのために、私にできること3
話の流れでマザー・テレサの伝記映画を思い出したので、お話しました。
オリヴィア・ハッセーが主演していたと思うのですが、良い映画です。
「マザー・テレサを慕って欧米から女性たちがカルカッタにやってきます。
しかしある女性は熱射病で倒れ、あえなく本国送還となりました。
やがて陰謀によってマザー・テレサの財団に危機が訪れます。
その時マザー・テレサはその女性に電話をかけ、言いました。
あなたの祈りで天国を揺さぶって、と。
果たして、事件は解決され、マザー・テレサは活動を続けることができることになりました」
このブログで繋がっている皆様は、もちろん、祈りの効用を認められることで一致されるでしょうから、その上で話を進めます。
今のように通信に手間のかかった時代、もっとそれ以前の時代には、祈って下さいと言われて、一度「はい」と答えたら、手応えがあろうとなかろうと祈り続けたものです。
そもそも祈りに手応えなどというものは基本的にありません。
あなたがこれから何か良いことをSNSなどで綴っていこうという時、良くも悪くもそのリアクションを把握することが出来てしまいます。
どれだけいいねがついたかとか、コメントがあったかとか。
しかし「人のために」から始まった行いは本質においてすべて祈りです。
届いたか否かとは無関係に、「人のために」は続けていかなくてはならないのです。
それはいちいちの結果に一喜一憂するな、ということでもあります。
もう一つお話しました。
それはあるアフリカの部族に関する話です。
「その部族では雨乞いをすると必ず雨が降るのだそうです。
その訳はなぜかと言うと、雨が降るまで雨乞いをするからだ、ということでした」
この二つの話の共通点に気付くことができますか?
私たちが、自分のしている貢献や善行の進捗を途中で確認したくなるのは、私たちのエゴが今すぐの結果がほしがるからです。
しかしそのような短気では雨は降りません。
あなたが「ひとのため」で始めたことは、必ずどこかで誰かに伝わります。
それはたった一人かもしれませんし、たった一人の人生のほんの数時間にしか影響しないかもしれません。
しかしそれがとても大きなことなのです。
なぜならそうして送り届けられた「光」が、次には誰に伝えられていくか、私たちには全く予期できないのですから。
私たちは一人ひとりがプリズムのような存在です。
自分という存在から発せられた言葉が、この世界の内のごくほんのわずかの鏡にでも反射して、また反射して、どこか世界の一隅を照らすかもしれない未来を想像してみて下さい。
どんなに素敵なことか分かるでしょう。
今日もお読み下さりありがとうございました。
一言通信。
5月は英語漬け。オンラインで英会話を楽しんでいました。
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