理性は闇を照らす光1
このブログでは皆様から伺った個人的な深い話も紹介させて頂いています。
普通このようなことは憚られることかもしれませんが、ネタとして利用しているつもりはありません。
私たちの闇は光によって祓われる必要がある、というのが私の基本的な考えです。
否定的な感情や思考は「無明という闇」の中にはびこっています。
それに対して「理性という光」が射し込む時、解決への歩みが辿られ始めます。
一応、スピリチュアル用語で理解したい人のために申し上げると、前者がアストラル体(の負の側面)で、後者がメンタル体(の正の側面)です。
闇は光を嫌うものです。
胸の内に秘めた、誰にも言えない、言いたくない悩みや苦しみを他人の口によって明らかにされた時、多くの人は憤慨したり面目を失ったように感じたりするものです。
しかし私の考えでは、そのような「闇をかばおうとする心」こそが闇の温床であり、人生を遅滞させる最大の元凶です。
それがどのような状況であるのかを、ユングは次のように記しています。
「光は確かに闇を照らしたが、しかし闇によって理解されなかった」
黴は光の射さない所に生えます。
埃は風の吹かない所にたまります。
理性は光であり、風であり、吹き込む所、射し込む所を健全化します。
先日はある方に、ぐさりと刺し込む問いかけをしました。
もちろん、不注意によってではなく、あえて、です。
こうした質問は、時として10回、100回のヒーリングよりはるかに大きな前進を心身にもたらします。
人には恐らく誰にも、答えなければならない厳粛な問いがあり、いつかそれと向き合うことが求められます。
その話を、明日、続けます。
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