現象の背後に働く力1
全てとは言いませんが、多くの出来事にはれっきとした発生の理由があります。
今日もお読み下さりありがとうございました。
これを私はよく、砂鉄と磁界になぞらえます
(ピンと来ない方は「砂鉄 磁界」で検索して図を見て下さい)。
なぜ砂鉄があのような模様を示すのかと言うと、現象の背後に磁界があるからです。
磁界は見えません。
砂鉄という媒体を通して始めて認識することが出来るのです。
同じことが人生にも当てはまります。
私たちはしばしば人生の「砂鉄の模様」ばかりを注視します。
なぜそれが起きているのか、つまり「磁場」を見ようとしません。
気付こうとしません。
しかしそれではいつまでも、眼の前に起きてはまた消えていく出来事に翻弄されるだけです。
最近、姉にお金を貸すことになりました。
かなりまとまった額で、これで三度目なのですが、ここにパターンがあることに気付かないわけにはいきません。
1)私にいくらかの余裕がある時、それは起き、
2)そして額はだいたい私の手持ちの半分未満で、
3)返って来るのはだいぶ、先。
私はこのパターンに気付いています。
だからお金を貸すことに嫌な気持ちは全くありません。
恩に着せることもありません。
逆にこのことに対する洞察を欠いていると
「ああ、また貸さないといけないのか」
「なんでいつも俺なんだ」
「早く返してくれよな」
というような、否定的な思いが湧いてくると思います。
人間感情として、そういった思いが湧いてくるのは自然なことでしょうが、それは知恵という光が当たっていないために滞留している霧のようなもので、だから本来、光が当たれば消えてなくなる性質のものです。
だいたい、否定的な想念というのはそういうものです。
それは知恵の欠如つまり無明と共にあり、受け入れられて当然のものを受け入れ難くしてしまうのです。
今日もお読み下さりありがとうございました。
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