自己否定感をどうする2
私が自分の症状についてお話したのは、自律神経失調症やその源となる自己否定感などを余り特別視しないでほしいと思ったからなんですよね。
ヒーラーである私も、自己否定感が強く、一種の自律神経失調症です/でした。
それを受けて「ヒーラーなのに?」と思うのも、「ヒーラーでもそうなんだ」と思われるのも、勿論、皆様の自由です。
「私も未だに自己否定が強いです。そしてそこからの完璧主義(実際には完璧にできないので、いつも1人反省会)は、さらなる自己否定を引き起こしたりして、延々と続いてしまいます。
それが嫌で、人と関わりたくなくなったりもします。
確かにこんなことをしていたら、身体もおかしくなりますよね。
毎度自分に厳しすぎる考えを打ち消す努力が続いております。
少しずつは前進しているようではありますので、地道にやっていこうと思います。」
私の考えでは、自己否定感というものは、持っている人にとっては一生の伴侶です。
無くなりませんから無くそうとしなくて良いですよ。
それは人生の基調なのです。
生きている限り、何度も自己否定感に苛まれると思います。
自己否定感というものは、幼少期に埋め込まれている、または別の説明では、出生以前の魂において埋め込まれている場合には、一生消えないのです。
だから、無い人には無いのです。
そういう人には反省しろと言っても反省することが出来ません。
逆に生まれ持っている人は、頼まれてもいないのに勝手に反省します。
そして自分を苦しめます。
でもどちらがいいのかと言うと、どっちもいいんじゃないですか。
自己否定感があるのが悪いことだと私は思いません。
私たちはどうしても身の丈の基準で物事を捉えてしまいがちなのですが、考えを広げることはとても大事だと思います。
例えばですが、皆様は歯医者の待合室などでモーツァルトを聴いたことが多分あるでしょう。
で、モーツァルトが特に好きな人でなければ、キラキラしてばかりでつまらないなあと思ったことがあるのではないでしょうか。
私は子供時代、そう思っていました。
長調の曲しか流れないですからね、歯医者では。
モーツァルトを好きになったのは20歳くらいの時だったと思います。
『レクイエム』の衝撃と言ったら。
西洋音楽には長調と短調があります。
簡単に言うと、前者が明るくて、後者が暗いです。
で、私たちの心にぐさっと響いてくるのは、だいたい短調なんですよ。
人生も同じで、長調の人生もあれば、短調の人生もあります。
音楽で言ったら、どちらかだけがあれば良いとはならないでしょう。
長調の曲も短調の曲もあるから、面白いんですよね。
人生となると、自分の利害や快不快が関わってくるから、「長調ならいいのに」と望んでしまう。
でも短調の人生は短調なんだから、短調の美を楽しむと良いと思います。
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