言葉が心を作る1
お国自慢をし出すと切りがないと思うのですが、日本語は改めて素晴らしい言語だと、英語を勉強する中でつくづく思います。
言語の基本的構造は地球上どこでも同じです。
ですから全ての言語は相互に翻訳可能なのです。
しかし内的/外的事象の、どこに、いかに、注目するかということが、その言語の在り方を決定し、特異なものにします。
あるアメリカ人(かなり日本語の出来る人)が私に言ったことなのですが、日本語の「する/してあげる/してくれる」が本当に難しい、いまだに迷う、とのことでした。
というのは英語にはこれに相当する表現がありませんので。
例えば「カワベさんがヒーリングをした」という〈事実〉を、私たちはそのまま言いません。
必ず内的体験に変換し直して「カワベさんがヒーリングをしてくれた」になり、更に敬語が加わって「カワベさんがヒーリングをして下さった」になり、逆に私の方では「ヒーリングをさせて頂いた」または「して差し上げた」になるわけです。
こういうことを私たちは無意識的にやっています。
これは本当に深いことだと思います。
日本人は丁寧だというようなことがよく言われますが、精神構造の基礎を支えているのは何と言っても言語です。
私たちは事実そのものを見ているのではなく、その事実の中でどういうふうに自分と相手の関係が結ばれているかということに注目している、だからこそ「縁」という言葉もあるのだと思います。
もちろん英語にも英語の優れた心象描写がありますし、それはそれで素晴らしいものですが、身内贔屓を忘れて言えば、やはり日本語の奥深さには到底及ばないと思います。
そういう言葉の世界に生まれたこと、生きていることは、とても有り難いことだと最近改めて思います。
与えられたこの言語をもっと大切に使っていきたいものです。
それは祖先から受け継いだ大切な遺産なのですから。
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