言葉が心を作る3
昨日の話に誤解なきように付け足しますと、粗雑な言葉を使ってはいけない、という意味ではないのです。
私も「さあ、何食うかな」と言う時はあります。
粗雑と丁寧に限らず、何においても対極の性質というものがありますが、ピアノの鍵盤のように考えてみて下さい。
高い音だけあればよいのではないのです。
幅広い音域が音楽を作っています。
その中で自分が欲する音域が、人それぞれにあると思います。
大事なのは自分の慣れ親しんだ狭い領域を全てだと思って、そこに居続けないことです。
なぜならそれは視野を狭くしてしまうからです。
昨日の話で伝えたかったのは、もしあなたが丁寧さに欠ける言葉に慣れ親しんでいるならば、丁寧という〈音域〉の方に言葉を広げていくことで、もっと見えてくるものがあるということです。
粗雑という〈音域〉の言葉を使ってはいけません、という意味ではありません。
最後に、言葉から話題が離れますが、こういうことは人生の至る所に当てはまる気がします。
そして私も以前そのように考え、主張する傾向があったのですが、「これをしてはいけない」「これをすることが正解」という発想でいる限り、心は柔軟になりません。
どうしても禁則集に囚われてしまうのです。
実際、幅広く色々な振る舞いを出来ることは魅力的だと思います。
とても真面目かと思えば不真面目だったり、几帳面のようでうっかりしていたり、逆に普段はぼーっとしているのに、ここぞと言う時にはしゃきっと振る舞うことが出来たり。
こういう振れ幅が人間を楽しいものにすると思います。
なぜなら心というものは本質的に多面的なものだからです。
波動の高さ/低さのどのあたりが自分にとっての最適かということは、幅を広げることで自然と見えてくるものだと思います。
これに挑戦すると少し自分を広げることが出来るかなと思えるようなことに、日々関心を向けていくと良いのではないかと思います。
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