Aさんへの助言3
これまでお話したことは、理想です。
現実に落とし込むのはとても難しいです。
だからこそ、学ぶべきことです。
子供の相手をしている時、以前、私はよく自分の時間の損失を考えていました。
子供がアンパンマンの映画を観ていて、しかもそれが十回目である時、私は本当に退屈な気持ちになり、他のことをしたくなりました。
でもそのような時期、私に向けられる子供の感情はとても複雑に込み入ったものになっていました。
やがて考えを改めることに成功し、「自分基準」を手放すと、子供はこれを楽しんでいるんだという事実を理解することが出来ました。
子供に合わせて速度を落とすことによって、自分は何も失っていないことを理解しました。
私の目から見ると、退屈な、何の進展もない時間ですが、子供の目には、「お父ちゃんと遊んでいる」時間なのです。
「遊ぶ」という言葉の定義そのものが違うことも理解しました。
私は「遊ぶ」ということを、工作やサッカーやごっこ遊びに限定していました。
でも、子供にとっては「お父ちゃんといる」ことが「遊ぶ」ということの意味でした。
私の基準を子供に当て嵌めようとする時、私は無自覚の内に彼にプレッシャーをかけていたのだと思います。
「子供らしく」とか「テレビばかり観ていては」とか。
そういうことは勿論、一方では正しく、しかし同時に、絶対的に正しいことというのはありません。
この子の場合、この人の場合、ということがあり、それがまた関わる人との関係によって、異なる姿や求めが表出されてきます。
決して怠惰や無規律ということではなく、相手が子供であれ、大人であれ、その事情を推察し、自分を無にすること――それが大切なのではないかと思います。
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