人生後半2
「時間が惜しまれてきました」と昨日、書きましたが、忙しく何かをやっている訳ではなく、また将来を思って不安や焦りに駆られているのでもなく、ただ、時間というのは、大切なものだな、大切にしたいものだな、との思いが強くなってきたということです。
長年生きてきて、やっと時間の価値が分かったのです。
「やらなければならないこと」より「やりたいこと」、更により正確な言い方をすれば「やらなければならない方法」より「やりたい方法」を、私は選択するようになりました。
そしてそれが快適であることを日々感じています。
密度は高いのですが、気分はゆったりとしています。
今やネットで少し調べるだけでも、あらゆる活動に関して、その正攻法や最短ルートが示されます。
それは多くの場合、科学的/経験的な証明が得られたことでもあり、ゆえに汎用性の高いはずのものでもあり、しかし、自分の好みに合うかどうかは全然別の問題です。
一人一人の魂は、とても個性的なもので、実際の所ほとんど常に規格外だと思います。
そしてその魂の「毛色」は、年を重ねるにつれてどんどん濃くなっていくのではないでしょうか。
言い方を変えれば我が儘になっていくということなのかもしれませんが、逆に言えば、どんどん自由になっていく、ということなのかもしれません。
例えば「ピアノを弾く」と言えば、楽譜を読む能力や、バイエルから始まって様々な曲を演奏できる能力や、またはジャンルによっては即興演奏能力などが当たり前のものとして連想されます。
でも、「私のピアノ」は、どうもそういうものではないんですね。
自分が書いた曲を弾くためだけに、私のピアノはあり、故に上に挙げたような「標準」とされる能力は一つも必要とされません。
凄く、偏っています。
でもその偏りが、自分です。
「じゃあ、自分の曲しか弾けないの?」
「いや、自分の曲だけ、弾けるんです」
こういうふうに、自分だけのオリジナルな在り方があるのではないかと思います。
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