5内なる子供
至る所に、囚われの心がある。
子供のことは、愛し尽くし、受け入れきらないと、と思う。
それは自分が幼少期において、愛し尽くされ、受け入れきってほしかったことの願いの裏返しで、ゆえにその核心において、私の場合、この「主義」は実はネガティブなのである。
最近、私は自分自身をより素直な存在に変えていくべきだと思うようになった。
子供があまりにも聞き分けのない時、不快になることを自分自身に許している。
と言っても、その不快感をあからさまに子供に示して、苦い思いをさせようと言うのではない。
ただ、自分の心は自分の心として、素直にさせようと思うのだ。
言うなれば、私の外に子供がいて、私の内にも子供がいる。
後者のことを、インナーチャイルドという人もいる。
私はこの二人の子供のどちらをも大切にしなければならない。
まどかを優先するあまりに「内なる子供」を拒否すれば、それは勿論いじける。
そしてそのいじけは、まどかに映し出されて、難しい兆候を示す。
私にとって、まどかと「内なる子供」は、どちらも大切にしなくてはいけない兄弟のようなものだ。
最近、私はいつもこの「内なる子供」(という表現を実はしたくないのだけれど、便宜上。より正確には自分の心の「芯」と思っている)の様子を感じるようにしている。
例えば先日触れた英語の読書についても「やらないと、折角だから」というのは「私」だが、「嫌だ」と内なる子供が言っているなら、私はやめる。
内なる子供を抑圧し、満足行くように仕向けても、結局長期的に良い成果は得られないからだ。
そのように試みる中で、まどかの態度がいつも少し違った(良い)感じを示した時には、ほお、と私はこの効用に目を瞠ったのだった。
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