20 ゆく河の流れは絶えずして
私はずっと無意識の訴えを受けて生きている。
無意識が容認する時、現象は起きる。
無意識が加勢する時、現象は進む。
そして無意識が否認する時、現象は止まる。
私の可能な限り、この原理に忠実に従って行動し、思考する。
無意識をコントロールすることは出来ない。
自己啓発の本を読むと、「出来る」と書いてあるが、そんな考えは浅い。
無意識の圧倒的優位を認識して初めて、本当の人生は始まる。
「本当の人生」とは、心という内的世界を体験することの連続なのだ。
逆に言うと「本当の人生ではない人生」は、昔から例えば「うたかた」とか「浮世」と呼ばれてきた。
自己啓発の諸君が言うように「無意識をコントロール」すれば、いわゆる成功者になれる。
でもそれだけのことに過ぎない。
つまりそれは所詮、掴んだと思っても次の瞬間には消え去っているもの。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし…
無意識は、私の価値観を超えている。
たとえば私の無意識に女装趣味という因子があるとする(例えば、だ)。
そうしたらそれを認識し、肯定し、体験しなければならない。
それが心を生きるということなのだ。
「それはいけないことだ」といって封じるなら、それは心を否定することであり、自分を、人生を否定することになる。
そして己を否定する人は同様に、他者を、世界を否定する。
無意識の訴えは間欠泉のように湧いてくる。
人はそれを、苦しみや悲しみや渇望として体験する。
それを無視するのではなく、どうにかして人生の中に取り込んでいこうと試みる中で、本当の自分がだんだん見えてくるようになる。
私はその実感をますます強めている。
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