28 知恵の言葉
以前、エホバの証人によく訪問された。
私はとりあえず人の話を聞く人なので、ここは行けると思われてしまう。
小学生の時からコロナ禍まで、ずっと通われた。
有り難いことに、コロナのおかげでやっと解放された。
ある人が昔、目をきらきらと輝かせながら言った。
「聖書には沢山の素晴らしい言葉が書かれているんですよ」
私は「素晴らしい言葉が書かれている本はいくらも他にあるぞ」と思った(でもがっかりさせたくないので言わなかった)。
例えば聖闘士星矢にはこんなことが書いてあった。
先日、久しぶりにこの私の小学生以来のバイブルを取り出して読んでみた。
「まさか夢とは不可能という意味と同じだと思っているのではあるまいな。
どんな夢だって信じて貫けば必ず現実のものになるのだ」
ちなみにだいたいこれと同じことは聖書にも書かれている。
私はこういう言葉に育てられた。
何か「だけ」に素晴らしいものが宿っているのではなく、色々な所に素晴らしいものが宿されている。
ただそれを聖書だから重んじ、漫画だから軽んじ、その結果、過度に注意を向けたり、まったく気付かず見過ごしたりする。
要するに全ては「目の梁(聖書の言葉)」の問題なのだ。
それにしてもいつ読んでも聖闘士星矢は熱い。
今回も目頭が熱くなった。
でも、私がそんなに熱弁するので試みに読んでみた人が「ずっと戦いばっかりでしたね」とあっさり言ったのでがっくり来たのを思い出したから、誰にもお勧めはしないことにする。
伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないし、こればっかりは、仕方ない。
息子には、適齢が来たら読ませてあげたいと思う。
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