50 聖地二子玉川高島屋
よく二子玉川高島屋に行く。
ここは私にとって魂の回復の泉なのだ。
高島屋の品物には気品がある。
そういうものを眺めながら時を過ごしていると、自分が属していたい、自分にふさわしい暮らしの豊かさを確認することが出来る。
先日、改めて思った。
豊かさとは、金銭の対極に実はあるのだ、と。
二子玉川高島屋にはお金を作り出さない余剰スペースが沢山あり、そこはただ訪れる者の気持ちを和らげるためだけに飾られている。
無為に放り出されているのではなく、どうぞゆっくりしていって下さい、という気持ちに満ちている。
そんな思いが支配しているからなのだろうが、質の悪い客は滅多にいない。
どんどんスピードが増し、安っぽくなっていくこの世界の中で、そういうわけで二子玉川高島屋は私にとって、文化の防人のように思えるのである。
このような精神の豊かさに囲まれて喜ぶ自分は、間違いなくその方向を指向している。
それで改めて自分の暮らしを見直し、精神的な意味で、もっと彩ることが出来るのではないかと考える。
「用が済めばいい」の考えが幅を利かせていないか、暮らしの中の遊びの余地にちゃんと気付きそれを大切にしているか、そういうことを考える良い機会になるのだ。
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