58 自分を客観的に見る
出かけた先でとても美味しい珈琲を頂いた。
なんと炭火焙煎なのである。
調度品から食器まで、何もかもが素晴らしかった。
で、「う〜ん、こんな美味しい珈琲を淹れたいものだ」
また、「ここまで見事に愛着の行き渡った空間を作りたいものだ」と私は言った。
同行したAさんは「いや、カワベさんの珈琲は更に美味しいですが…」
「カワベさんの空間も充分これに近いと思いますよ」と言い、同意しない。
こういう会話が、他の人と話していても時々起きる。
それで思ったのだが、どうも自分というものを、自分は見えていないらしい。
他の人から見るととても良いのに、自分の関わることだと「まだまだ」と思ってしまう。
自分の暮らしの、他人には見えない裏側を知っているという事情も、勿論ある。
けれど、向上心があるのは良いことだが、自分が既に得ている「良いもの」を見落としてしまうのは、勿体ないことである。
いつも、平素の恵みに気付き、感謝するようにしている。
それでもこうしたふとした瞬間に、自分は客観性から程遠い所にいることを知る。
結局、そういったものは持ち得ないものだから、人から教えてもらうのがいいのだと思う。
とは言えそれでも尚、その珈琲は私の淹れる珈琲とは次元が違って美味しく感じられた。
(そしてAさんはそれに同意しなかった。)
***
コメント
コメントありがとうございます。
歌手もまた、その多くは自分の歌声は好きではないのだとか、聞いたことがあります。提供側の永遠の悩み、でしょうね。
だからこそ他人から褒めて頂くことが励みになりますね。