64 適切な器
演奏の機会を頂くことになり、久しぶりにチェロを弾くことになった。
2年くらい弾いていなかった気がする。
長らくその気にならなかった。
例えば超がつく上等のお酒を頂いたとする。
まさか適当なコップでは飲めない。
然るべき盃を用意しないといけない。
それと同じで、何かがそこに注がれるためには適切な器が必要となる。
チェロを弾く「器」が、この数年間失われていたのだ。
それが何なのかを言語化するのは難しい。
ただ「今は違う」という感覚だけだった。
姉が『婦人画報』を買ってきた。
姉にしてはかなり背伸びした。
吉川晃司のおかげである。
姉の好きな吉川晃司が表紙なので、珍しくそんなものに手を出すことになったのだ。
私は『婦人画報』が好きだったことを思い出した。
そう言えば学生の頃、美容院に行くと、ファッション誌などには目もくれず読むのはいつもこの雑誌だった。
掲載されている品物や風景の美しさと高級感に、久しぶりに時間を忘れて没入した。
「いいなあ、まあくんは。あそこまで私は入り込めない」と後日、姉は言った。「婦人画報を楽しむには部屋が散らかりすぎているんだ。まずは掃除だ」
これもまた、「器」の話なのである。
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